町歩きをして昔と変わったことはいくつもある。しかし次第に見慣れて、何かの機会でもない限りあれこれと思い出すことはなく、いつの間にか当たり前で普通のことと受け入れている。こうして世の中は変化していくのだろう。慣れとは怖く恐ろしいものだと反省したり、自分に言い聞かせたりすることもある。
そんな面倒なことではないが、子どもころには野犬が多かった。狂犬病対策で針金の輪を持って捕獲する人を何度も見た。輪をしめのられた時のあの鳴き声はやはり泣き声の方かもしれないと思い返す。そんな野犬を見かけなくなって何十年も過ぎたと思う。変わって、飼い主に連れられた犬はよく見かける。ひとつお願いは散歩中の糞尿行為、他家への迷惑だけは飼い主ご自身のマナーである。
増えて困っているのは野良と呼ばれる猫様。野犬のような怖さはないが庭などへの強烈な悪臭のするお土産には困る。野犬も野良猫も、そのもとは最後まで飼いきらない人様の行為が原因だろと思うが、これも飼い主のマナーではなかろうか。家の入口に生まれた直後のス雑種のスピッツが置かれていてそれを育てたことがある。なついてくると可愛い、飼い主の気持ちはわかる。
高齢夫婦の住まいは木製の門が建っている。その家の様子から猫の存在など1度も感じたことはなかったが、門の屋根で通る人を目で追って眺めている。2日続けて見ると、居ついたのか、飼われ始めたのか、それとも偶然なのか、飼い主を探しているのか、聞いてみたいがならず、あれからどうしただろうか、見かけなくなった。
(今日の575) あの時を撮っていればじゃ間に合わず
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