史料館の展示品はお宝鑑定とは異なり、すべてが史実に基づいた展示品ということで安心して観ることができる。開催中の「吉川元春とその時代展」にもいくつか歴史を秘めた兜や刀剣類が展示されている。吉川元春所用の墨塗筋兜(写真)、吉川広家所用の三巴用具、山中鹿之助所用の鉄錆十二間筋兜、吉川元春所用と思われる鞍鐙など、直ぐにでも身につけられる感じがする。
刀剣類では吉川元春所用と伝わる短刀は22.7㌢、備前国長船五郎左衛門尉清光指差、銘には天文2(1533)年2月とある。脇差は46,3㌢で、織田水軍を破り大阪の本願寺に兵糧を運び入れることに成功したとして吉川元春が本願寺光佐より拝領の物。槍につては長い次のような解説がある。
天正10(1582)年、毛利と織田との和睦(備中高松城の戦)をすることになり、交渉に入った。そこで、毛利側から2人の人質を出すことが決まり、広家(経言)と元総(毛利元就の9男)が選ばれた。翌年2人は秀吉のもとへ滞在するが広家は一カ月で帰国が許された。その際に秀吉から拝領した品、鋭いその穂先は戦国時代の厳しさを感じさせる。
元春は毛利元就の次男として生まれた。吉川家の養子となり15代当主となる。弟小早川隆景とともに毛利両川」と呼ばれた。元春にとって元就は父としても主君としても恐ろしくひたすら命令に従った。岩国に入封した三男広家に「元就の孫であることを忘れるな」「子孫を大事にしろ」など元就の名前を出して諭したという学芸員の解説が戦乱の世の生き方に思いを走らせる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます