わぉーもう本番まで一ヶ月をきってしまったわ。
今回のブログ担当は洪 美玉です。
今回の作品「揺れる」をやりながら問いかけられていること。
劇団ではずっと傍らにあったコンパッションは可能かという問いにも繋がること。
エンパシー…
シンパシーとはかわいそうな立場の人、自分と似たような意見を持っている人々に対して人間が抱く感情のことだから、自分で努力しなくとも自然に出てくる。
だが、エンパシーは違う。
自分と違う理念や信念をもつ人や、別にかわいそうだと思えない立場の人々がなにを考えているのだろうと想像する力のこと。
シンパシーは感情的状態、エンパシーは知的作業と言えるかもしれない。(ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー)
今、時代は分断の時代。国、民族、個人までもが分断され、対立させられている。バラバラになった人間は弱くなり、潤いをなくし、イライラしている。
そしてそれを覆い隠すように、目をそらさせるように次から次へと欲望を刺激する"商品”が登場する。
一人きりで強くなることを強いる時代はさまざまな病を引き起こす。
「揺れる」にも心に闇を抱え、もがいている人々の言葉が書きつけられている。
それらのモノローグからは「寂しい」「愛されたい」「愛したい」「自分の存在を肯定したい」という思いに溢れている。
混乱の世界に生きている私たち。時間はかかるけど克服のヒントはシンプルにエンパシーを試みることなんじゃ…んーそれしか出来ないんじゃ…
みんなも書いているけどこの脚本には役がふられていない。
つまりセリフ、詩のような言葉が羅列している。
稽古場自体がエンパシーを実践する場でもある。
そしてそれを促す戯曲だと思う。
誰がどれを喋るのかみんなで決める。
立場が違えば同じ言葉が違う音色になる。
ずっとディスカッションしていたいけどもう一ヶ月前ですからね(笑)
本番まで楽しみきりたいと思っています。
みなさんに見て頂けたら嬉しいです。
「人々は、死んだ子どもを腕に抱える母親の写真を見る。人々は泣く。とくに、自分も親である人々が。感情移入したために。彼らはその姿を、まるで自分のことであるかのように捻じ曲げて見る。」