「ごはん食べながらこんな話するの?」
『彼女たちの断片』の稽古は、こんな状態から始まった。
『彼女たちの断片』――この石原燃さんの新作は、劇団にとって20年ぶりの書き下ろし作品。わたしにとっては、生きていて、日本人で、電車で行き来できる距離の作家と仕事するのは初めてのことだった。30年以上翻訳劇とつきあってきて、時代や文化や宗教の違いから作家の書きたかったことになかなかたどり着けないことも多々あった。が、日本語は得意だと思っていた。それが、稽古場で燃さんに解説してもらうまで、読めない掴めないことがたくさんあった。
なかでも「ごはん食べながらこんな話するの?」というのは、結構大きな違和感だった。
なぜか? 多分、母から教わってきた「躾」みたいなものだと思う。ごはんの席でシモの話はしちゃいけない、みたいな。生理も中絶もシモに分類されていたってことだ。
この芝居はそこへのチャレンジだったんだといまわかる。
生理のこともセックスのことも、学校も親もあまり教えない。まして中絶なんて。自分の身体のことなのに、こどもは自力で性を開拓して、失敗して、身をもって知って、後悔したり罪悪感に苦しめられたりしながら、でも次の世代に教えない。これが連綿と続いてきたのだ。女が女に教えない、伝えない。秘め事だから。
石原燃さんは、そんなばからしいことはやめようと言っている。自分の身体のことをもっと知ろう、情報交換しよう、基礎的な知識を学んで自分をコントロールしよう、と。
稽古場では、生理のことから始めた。俳優たちは旅公演にも行っているし、割とフランクに話しているのかと思っていたら、違った。わたしに近い年齢の俳優たちは、こんなこと人に話したことない、と言っていた。生理でさえ、である。みんな驚きながら、こんなことが互いにもっと話せていたらね、と残念に思ったのだ。若い人たちはさすがにもっと口にしていたが。
葉子による歴史のなかでは、国家による人口政策が語られる。その時々の都合によって「産めよ増やせよから人口抑制へ」(逆も然り)生殖が管理される。性の解放をたしなめる(上から目線!)ために「水子供養」が生まれ、「水子の祟り」で中絶の罪悪感を植え付けてきた。中絶はいつの時代にも行われてきたが、必要悪、タブー、後ろ暗いことという烙印が押された。
大日本帝国時代の日本人は、国家の都合のいいように洗脳されて戦争に動員された。そうなるまい、と、なるわけがない、と思っていたが、同じことじゃないか。中絶に限らず、自分の身体を知らず、女同士でも喋れず、ということもまた、国家に都合のいい考え方で考えていたということなのだ。
食べながら話して何が悪いのか? しかも女しかいないあの食事の席で。
わたしたちは話すこと聞くことに慣れていった。母の世代が躾けたことから解放されていった。だって母の世代だって、その上の世代から受け継いできただけなんだから。それを不謹慎としたのは「誰か」なんだと知ったから。
女が集えば、食べたり飲んだりしながら喋る。テーブルセッティングしたりお茶を淹れたり片づけたりしながら喋る。ほんとうは皿を洗いながら拭きながらもやりたかった。そういう日常のなかで、普通に語られる。上の世代の話を聞く。若い世代の新しい在り方を知る。こんな形で情報が飛び交うと、どんどんタブーが打ち破られていくし、自分を縛っていた檻を眺めてみることもできる。
観劇後のアンケートや感想で、啓蒙的、と言われた。普通、芝居のことを啓蒙的と評されたらいい意味には受け取れないけれど、やはりこの作品は女が女の蒙を啓くものなのだと思う。
石原燃さんは女たちに向かってチャレンジした、或いは提案した。そのチャレンジをわたしたちは真っ向から受けた。よしやってやるぜ、と。そして身体をとおしてその言葉を口にした。考えた。口にしていいんだと確信できた。楽しめるところまでいけた。そして啓かれた。(香坂奈奈さんの舞台装置も開かれた!)観客のなかには、受け入れがたいという人もいたし、それもわかっていた。わかっていても辛かったけど。
公演期間はあっという間に過ぎ、こんなに稽古したのにこれで終わりか……という寂しさもある。けれど、終わった。でも、これに関わったすべての人にとって大きな経験となったと思うし、決して後戻りはしないぞと思っている。そしてこんな本をわたしたちに託してくれた石原燃さんに心から感謝している。
最後になりましたが、たくさんのみなさんのご来場に心から感謝します。
スタッフにも俳優たちにも、フェミニズムのたくさんの団体に紹介してくれた黒川アンナさんにも感謝を。
ありがとうございました。
2022/4/6
小森明子(演出)
配信のお知らせ
配信期間 2022年4月10日~5月31日
チケット料金 2000円(3日間視聴できます)
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