「絵師には罪は無い」というが、本当にそうだろうか。戦争に資する研究を拒否する研究者のように、女性を性的に消費する案件は自らの意思で拒否できたのではないか。むしろこれまでそういう仕事を繰り返し、性的消費をする文化を醸成させる一役を担って来たのではないか。十分罪深いように思う。
— 勝部元気 Katsube Genki (@KTB_genki) November 4, 2020
「性的消費」の定義と範囲による。
「性的消費をする文化を醸成」ということなら、さしあたり歴代プリキュアはすべてそれにあたるだろう(「大きいお友達」の存在を参照)。魔女っこ物も同様。
あー、女性作家さんが無理やりああいう構図の絵を描かされたのだと思って怒り狂っていたら、女性作家さんが好きに描いていたので二重にビックリしてしまった的な?本当にこの世は地獄だな。普段から性的なものを描いているやつをパブリックな企画に出すなとかもう差別意識の塊ですやん。
— さすが多摩湖♡ナルコレプシー (@tamako_han) November 7, 2020
要はこの「普段から性的なものを描いているやつをパブリックな企画に出すな」というのが本音(のひとつ)と思しく―非実在女性をエロ目に描いている人が人権的にアウトなら、より直接的に実在女性をもとにエロを描いていればさらにアウトだし(たしか実写ロリエロを模写したらアウトという判例があっただろう)、さらに進んでそのものずばり己の体を売っていればまたさらに明白にアウトということになろう。
…AV女優出身のひとが「おもて」に出るのをそもそも禁じるという方向にさえなるだろう。それ、まあ、多少抑制的であってほしいかな、とは思うものの、即座にアウトというべきともいえない。
…というかアレか、『君も芸能人になれるよ! さいしょは「ちょっときつめ」かもしれないけど、ほら君も知る〇〇さんだってもともとは…』なんて勧誘で次々未成年をアダルトビデオの使い捨て出演者に…なんてふうな被害が起らないように、そもそもAV出身者をアウトカースト扱いし、存在自体を葬り去っておけばよい―というアイディアなのかもしれない。パターナリズム全開の気もするけど。
まー、その。
実際上「エロ絵」の意味で「萌え絵」という用語を用い、任意の範囲のイラスト群をひとくくりにして排除対象とする運動にちょいとアクセントが入った程度の水準で、さほど面白い論点ではない。社会的な影響としては相当なものがあろうけど。
関連:「プリキュアのパンツを性的だと思うのは、既にプリキュアのパンツを性的対象だと思っている精神だから(2018-10-17)」
「順番が逆なのだ。「おっさんの性的消費の対象」として作られたのではなく、まずはそれは「子ども向け玩具」としてつくられたのだ。『こういう女の子になりたいよね?』という呼びかけとして、「きちんとした身なり」「格好良い女の子」「可愛い女の子」として。
おそらく、プリキュアキャラのパンツは白だろう。それは主たる消費者である女の子たちが(まあ象徴的に言えば)グンゼのパンツ(※無地)を穿かされているからだろう。つまりアンパンマン・プリントやプリキュア・プリントのパンツを卒業し、歳相応に”おとな”になった象徴である。
おそらく、ポイントつき・柄つきのパンツを選ぶシーンがプリキュア等には用意されるだろう。それは、白パンツを”卒業”し、自分が可愛いと思うものを”選ぶ”という自己決定がはじまる、その意味で”おとな”になる象徴として用いられる。
そういう教育目的・効果がまずあって、そうして育ったあとの”我々”はそれらに”我々”からの意味づけを付与するようになるが、それは二義的、三義的であって、当初の主たる目的とは言いがたい、と判断すべきだろう。」
関連:「所謂萌え絵絵本を批判したいなら理論武装くらいはやっておくといい(2018-11-12)」
「「萌え絵と言うよりアニメ絵で」で問題が解決してしまった。問題は、性的消費を主たる目的とすると思しい萌え絵によって幼児が性的消費を是とするような―というか、性的消費の対象物として教育されかねないという論点にあったのだから。
ということで「違和感しかない」「申し訳ないけど不快感しかない」という感想は、「うん世代差かな」というくらいであって(なにしろ、今こうして違和感を言う我々の親世代も、だんだん変化していく”名作童話”たちの姿に多少の違和感を感じていただろうし)、「残念な編集ですね」というのはもはや違和感に起源する八つ当たり程度の意味しかないだろう。」
「そんなわけで「上北ふたご先生の作品は最高だろ」とまで明言され、なおも文句を言おうというなら『プリキュアに文句言いに行け。東映・朝日だぞ』ということになる。」
関連:「そりゃ世代的・背景となる文化ごとに違う見方をするし、その「常識」は変化してゆく(2018-10-27)」
「他方、今現在の感覚で、性的に全く無価値な・女権論的に正しい服装というのを幼児のうちから着させることを完全に徹底した場合、こんどはそれが次の世代の性的興味の関心になること、ほぼ明らかである。
当たり前だろう。
男の子たちは、ブルカかガンキャノン装甲かなにかを着た同世代の女の子たちと一緒に育ち、彼らの正常な性的感覚の発達は、「気になるあの子」とブルカもしくはガンキャノン装甲またはレッドキング着ぐるみとを一連の観念的連関のなかに位置づける。たぶん、「ああ、あれをひん剥いて肌を僅かでも見たい!」という方向だとは思うが(エレキングに直接欲情する精神は、発生はするだろうけどあまり多いとは信じない、信じたくない)。
そんなわけで、「今現在の」エロゲエロ漫画とかではレオタードスタイルのスクール水着が描かれているものと思われるが、「今現在の」消費者たち、すなわち20~40台の人々がさすがにそーゆー気を薄れさせたころには、つまり10~20年後には、「今現在」性に目覚めていない・目覚めたあたりの(今現在、10歳から20歳くらいまでの)人々のために、「今現在、非チャイルドポルノ的であるとお墨付きの」半ズボン丈のスクール水着がエロゲエロ漫画に登場することだろう」
追加
そもそも論なんですけど、どうして企画者を自○まで追い込んではいけないのですか?
— 公務員を削減しましょう!🦐🌈🏳️🌈 (@sakugen_go) November 4, 2020
フェミニストは自分が訴えられるかもしれないという覚悟のもとでアツギ関係者を叩いているんです。その覚悟があるならどこまで追い込んでも構わないでしょう。
「相手は自×するまで」に対して自分たちは訴えられるまでを想定するのは、ちょっと対称的じゃないなあと思う。いえまあ、企業さんから営業妨害の廉で訴えられてひとりあたり4,5千万円ほどの支払いを課せられるのだ―というなら、まあ―損害賠償の額としてはだいたい対称がとれるのかな、もしかして。
まあどっちみち、いい趣味とは言われまい。
性的消費の理屈も理解するのだけど。
その強度で「ある者の存在を間接的にであれ消費することを非難し・否定し・消滅せしめる」を追求すると、かなーりキッツイと思うのですよねー。
とりあえず我々先進国の人間の生存自体、中進国・発展途上国の人民の生存を消費して成り立っていると言えますし、それに対する深刻な反省をすると―
―その「深刻」の方向性によっては、ほんとエライことになりますからー。
―それは一定程度事実の表明なのだろう、少なくとも主観的には。
とはいえ、こうしたアニメ・漫画と地続きの表現のイラストに慣れた世代にとっては、これはこれで「そうありたい・なりたい私」の表現でもありえるわけで―
…世代間対立の側面も、まあ、無きにしも非ずかなとは。