小泉元首相について語る必要上,各党党首クラスの名前を挙げる程度は許されるだろう,うん。
おおやにき「混乱の先について(2・完)」
「仮に小泉氏がさきほど指摘した後者の可能性に基づいて日本国民全員を彼なりのエンターテインメントに巻き込もうとしていたのであればなるほどたいしたトリックスターであるわいと感心したり」(引用)
どーも小泉氏(でなくとも,小沢氏にせよはとさんにせよ麻生氏にせよみずほたんにせよ)を叩けばOK的な御論調をさんざん聞かされてげんなりする昨今でありました。いちいち日常のネタ話まで政治にひきつけなくていいから。
でまあ,誰かを嫌いまくっていることは大いに分かるとして,けな もとい批判する一方ではただの不平屋ではあるまいか,とは思うところ。
いや,正直,小泉氏については当初『嗚呼今までの自民党政治家とは違う新しい政治を切り開いてくれるに違いないわっ』なことを言い,或いは思い,首相着任後のあれこれの点(靖国参拝とか,各個人的に問題点とするような行動とか)が起こるたび,『こんな人だとは思わなかったわっ!』と手のひらをひっくり返す,そんな例を散見した気がするが
自民党をぶっ壊すとか言ったところで,ど自民党でしょうが
とまあ,割と当初から冷めた目であった私にしても,あの魔術的な世論形成には舌をまいた。くるくる。
おおやせんせいは「トリックスター」と表現する。私なら「最近にない魔術師」というだろう。無視しえない,大変な影響力をしめしたわけで―それがどれほど意図的だったか,「個性」と言って済ませられるものか? ―そうした分析は,彼を尊敬するにせよ敵とするにせよ,大いにせざるをえないのだろうと思うのである。
いやまあ,「自分がその者を好きか嫌いか」というのと,「その者が有能か無能か」とは別個の問題だし,「自分の評価基準からしてその者が高く評価されるべきか否か」と「その者が社会的・歴史的…に如何に評価されるべきか・されるか」とは別個の問題だという,そーいう当たり前の話を当たり前に適用すれば,自ずと答えは出てこようというところだが。
例えば私は某●●氏を民主主義の敵として嫌っているが,だからといって彼を無能とは考えない(という旨言明したら,とある信者さんは幸福そうにほほ笑んだ)。恐るべき組織力,求心力―戦後日本数十年を通してみても有数の大「企業」家として,決して無視しえないと思われるのである。
その点を無視して「彼は思想的に(ry」だの言っても,それは(あえて言えば)本質を捉えない批判なのであって,チラシの裏程度の意味しかあるまい,と思うのである。
あー,投票はしてきました。皆さまもお忘れなきよう(一応)。偽悪的に『今後しばらく,心おきなく政治家に文句つけるための免罪符をもらってきました』とも言えますが,まーさほど日本政治を論評したりする気はないし。簡単に手に入るのはあほが配信するネタニュースとプロパガンダしかないよーな状況で真面目な検討するのは多大な労力がー。
でまあ,追記:教祖様の2009年8月28日(金)の日記。「自民党は一つの政党と見るよりも、各派閥ごとの小政党が連立していると見た方が理解しやすい」なる脚注については,さらに参照:おおやにき「混乱の先について(1)」の「かつ実際には多党連立政権に近いという自民党の内実」,何れも青字は引用。
引用すること自体がある種の意見表明である―なんてのは,じつは結構高度な認識なのかもだ。
おおやにき「混乱の先について(2・完)」
「仮に小泉氏がさきほど指摘した後者の可能性に基づいて日本国民全員を彼なりのエンターテインメントに巻き込もうとしていたのであればなるほどたいしたトリックスターであるわいと感心したり」(引用)
どーも小泉氏(でなくとも,小沢氏にせよはとさんにせよ麻生氏にせよみずほたんにせよ)を叩けばOK的な御論調をさんざん聞かされてげんなりする昨今でありました。いちいち日常のネタ話まで政治にひきつけなくていいから。
でまあ,誰かを嫌いまくっていることは大いに分かるとして,けな もとい批判する一方ではただの不平屋ではあるまいか,とは思うところ。
いや,正直,小泉氏については当初『嗚呼今までの自民党政治家とは違う新しい政治を切り開いてくれるに違いないわっ』なことを言い,或いは思い,首相着任後のあれこれの点(靖国参拝とか,各個人的に問題点とするような行動とか)が起こるたび,『こんな人だとは思わなかったわっ!』と手のひらをひっくり返す,そんな例を散見した気がするが
自民党をぶっ壊すとか言ったところで,ど自民党でしょうが
とまあ,割と当初から冷めた目であった私にしても,あの魔術的な世論形成には舌をまいた。くるくる。
おおやせんせいは「トリックスター」と表現する。私なら「最近にない魔術師」というだろう。無視しえない,大変な影響力をしめしたわけで―それがどれほど意図的だったか,「個性」と言って済ませられるものか? ―そうした分析は,彼を尊敬するにせよ敵とするにせよ,大いにせざるをえないのだろうと思うのである。
いやまあ,「自分がその者を好きか嫌いか」というのと,「その者が有能か無能か」とは別個の問題だし,「自分の評価基準からしてその者が高く評価されるべきか否か」と「その者が社会的・歴史的…に如何に評価されるべきか・されるか」とは別個の問題だという,そーいう当たり前の話を当たり前に適用すれば,自ずと答えは出てこようというところだが。
例えば私は某●●氏を民主主義の敵として嫌っているが,だからといって彼を無能とは考えない(という旨言明したら,とある信者さんは幸福そうにほほ笑んだ)。恐るべき組織力,求心力―戦後日本数十年を通してみても有数の大「企業」家として,決して無視しえないと思われるのである。
その点を無視して「彼は思想的に(ry」だの言っても,それは(あえて言えば)本質を捉えない批判なのであって,チラシの裏程度の意味しかあるまい,と思うのである。
あー,投票はしてきました。皆さまもお忘れなきよう(一応)。偽悪的に『今後しばらく,心おきなく政治家に文句つけるための免罪符をもらってきました』とも言えますが,まーさほど日本政治を論評したりする気はないし。簡単に手に入るのはあほが配信するネタニュースとプロパガンダしかないよーな状況で真面目な検討するのは多大な労力がー。
でまあ,追記:教祖様の2009年8月28日(金)の日記。「自民党は一つの政党と見るよりも、各派閥ごとの小政党が連立していると見た方が理解しやすい」なる脚注については,さらに参照:おおやにき「混乱の先について(1)」の「かつ実際には多党連立政権に近いという自民党の内実」,何れも青字は引用。
引用すること自体がある種の意見表明である―なんてのは,じつは結構高度な認識なのかもだ。
いろいろ仕事をした。とんでもない世界の仕事だってある。生活するため。夢の挫折 こんな事ありか?甲斐バンドのありかが聞きたい
蟻はきらい
かなり貯金を吐き出した,てとこでしょうか
よけーなフラグを立てず,身の丈なりで生きてってほしーと思います