歌舞伎・浄瑠璃の演目『伊賀越道中双六』に「落ち行く先は九州相楽」という台詞があるがこの相楽があるのは現熊本県南部の山岳地域。地図だけ漫然と見てると熊本城の御膝元からそう遠くなく思えるあたりに、仇持ちもそこに逃げ込めば追手の目を逃れられるような辺鄙な場所が当時あったわけで
— 原田 実 (@gishigaku) 2016年4月29日
この時代には、「異界」が意外に身近にあった…という話。うっかりすると忘れがち。
国内にある「日本経済とは別の経済」という概念が難解過ぎて私には理解できないです。 pic.twitter.com/vFiOa4p3py
— ryoko174 (@ryoko174) 2015, 1月 11
@tamai1961 @ikedanob @MasashiKikuchi @zawashin @ryoko174 全然不思議じゃないです。今のネットは火力の経済で回っています。原発がなくても経済は回るということです。
不思議というほうが不思議ちゃんです。
— 土本 恭久 (@TakaTsuchimoto) 2015, 1月 11
『別の経済を作り始めてる』ところの『私たち』とは、してみると、『原発利権村』以外の存在者たちということになるのだろう。
原発を止めているのを火発などでなんとか凌いでいるのは電力会社などの既存の経済なのです。
「私たちは別の経済を作り始めてるよ。原発なくても大丈夫だよ」と、ツケを全て既存の経済界に押しつけながら言うのは楽しいのかな?
— ryoko174 (@ryoko174) 2015, 1月 11
こうしたわけで、実際に発電の実作業をになっているのは(一例をあげれば)東電のひとだったりするわけで、はたして彼らは『私たち』という意識を持っているかどうか、持ってくれるかどうか。
「原発やめろ。やめた後どうするかは原発を進めてた奴が考えろ。俺達はやめさせるだけで、代案を考えるのは専門家の仕事。専門を楯にする御用学者は黙ってろ」を、全部同一人物から言われたことがあるんだけど「わかったわかった、後はやっておくから君は他のオモチャで遊んでなさい」て言いたくなるw
— azukigigbot (@azukigIgbot) 2016年11月8日
というようなことを私も思う。
産休中の人間がおり、しかし代理は若造しかおらず、その教育も含めた人員・労働力の再配置を問題にしようとして「困りましたね」と言ったら「はい差別ぅー! 言っちゃダメだよそんなことぅーう!」とか言い放つ人がいたりして。
歌うならよそでやってくれ、こっちは実務の話をしているんだ、と思ったことである。
そんな具合に、まー立派なことを言う人たちはいるし、その思想がご立派であることも理解するが、その理想を実現するための資源―たとえば労力は誰が提供すると思ってるんだ、それをぼやいただけで差別主義者扱いで槍玉に挙げられるのかよ、挙げる当人は何の仕事してるんだ、という恨みつらみが積み重なってこんなんになっちゃってんじゃないかなーという生活実感である。
昨日の講義のパワポより。 pic.twitter.com/uC36f2zLhK
— Daisuke Tano (@tanosensei) 2016年6月11日
戦中戦後で態度を180度変えた町内会長も、「正義」を盾に異端者を非難することで権力を行使しようとした点では一貫しているという話をしました。
— Daisuke Tano (@tanosensei) 2016年6月11日
「わたし(たち)」概念と「彼ら」概念を便利に使う…という現象を指摘するマンガのコマと説明。
普段、社会問題については尻込みして、決して突っ込んで語ることのない日本のお笑い芸人たちだが、世間的に「叩いても安全」だと分かった人間に対しては、率先して笑いものにしてるのをよく目にする。おそろしくなってくる。
— 小野寺系 k.onodera (@kmovie) 2016年6月10日
で、「かれら」が反撃してこないことを確認したうえで安心して笑いもの・なぶりものにするという、我々の習性の話。
(´-`).。oO(野間やんにぱよぱよちーんってリプライしたら、その後すぐに凍結されててワロタ。滅びの呪文、ぱよぱよちーん。 pic.twitter.com/UXg6Z1xb6i
— ろくでなし子一審一部無罪! (@6d745) 2016年6月6日
そうして、そういうあわいで楽しむ人の例。
(´-`).。oO(も?ろびと? こっぞ?り?て? しば?きま?せり?しばきませり? しばきませり?しばぁ しばぁ きま?せり???♪( ´θ`)ノパフ#半年前を振り返って
— ろくでなし子一審一部無罪! (@6d745) 2016年6月6日
すごいいいセンスである。
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