空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

「私たち」と「そのほか」と

2017-02-05 21:35:56 | ノート


 この時代には、「異界」が意外に身近にあった…という話。うっかりすると忘れがち。




『別の経済を作り始めてる』ところの『私たち』とは、してみると、『原発利権村』以外の存在者たちということになるのだろう。



 こうしたわけで、実際に発電の実作業をになっているのは(一例をあげれば)東電のひとだったりするわけで、はたして彼らは『私たち』という意識を持っているかどうか、持ってくれるかどうか。



 というようなことを私も思う。

 産休中の人間がおり、しかし代理は若造しかおらず、その教育も含めた人員・労働力の再配置を問題にしようとして「困りましたね」と言ったら「はい差別ぅー! 言っちゃダメだよそんなことぅーう!」とか言い放つ人がいたりして。

 歌うならよそでやってくれ、こっちは実務の話をしているんだ、と思ったことである。

 そんな具合に、まー立派なことを言う人たちはいるし、その思想がご立派であることも理解するが、その理想を実現するための資源―たとえば労力は誰が提供すると思ってるんだ、それをぼやいただけで差別主義者扱いで槍玉に挙げられるのかよ、挙げる当人は何の仕事してるんだ、という恨みつらみが積み重なってこんなんになっちゃってんじゃないかなーという生活実感である。





「わたし(たち)」概念と「彼ら」概念を便利に使う…という現象を指摘するマンガのコマと説明。



 で、「かれら」が反撃してこないことを確認したうえで安心して笑いもの・なぶりものにするという、我々の習性の話。



 そうして、そういうあわいで楽しむ人の例。



 すごいいいセンスである。

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