確実に起こることやけど、私の世代は結婚も出産も極端に困難になる。大卒者の半数以上が奨学金を借りていて、それは40歳近くにならないと完済できない額で、40歳で経済的に余裕ができたとしても、体力的に子どもは産めない。奨学金から利子とることはこういうことを助長することなんですよ。
— Chika Takimoto (@missbluesguitar) 2014, 11月 2
世代が下になるにつれ、大学進学のコストは上がって行っているようで、その点、一定の見るべき点はある。
奨学金を返してると子どもは育てられないのかな。返済額と、進学による所得アップ次第だよね。
— 青木理音 (@rionaoki) 2014, 11月 3
こういうことでもある。
奨学金を借りないと進学できない層の家庭出身で、進学には十分学力がある者にとっては、 就 職 で き れ ば 奨学金を借りるというのはそう悪い「博打」ではない。
毎月12万円4年間3%で借りて20年返済するとして毎月の返済は3万円ちょいだけど、これが理由で子どもは育てられないというのは筋悪いよね。
— 青木理音 (@rionaoki) 2014, 11月 3
こうなる。
もちろん、学部卒額面月給22万円で、毎月の返済額3万円となると、当然服飾費とか食費とか交際費とかで割と大きなマイナス補正状態なので、「結婚したくてもそもそもお付き合いの機会を作ることもできないじゃないか!」と怒るのはありだが、いやまあ金持ち家庭の出身者に比べて制限がつくのは確かだが(『奨学金借りたんですって? 借金なんですね? 嫌だわ! さよなら!』というパターンはある)、まあそこまで怒り狂えるほどのものでもないかなあとは。
学部だけなら大した返済額じゃないし、それじゃあ奨学金借りなかったらどうなってたのか考えれば分かりますわなあと思うのだけど、そこまで考えが及ばない層にも奨学金が行き届いてるのであればむしろ大変充実してることにならんだろーかと。
— MMatsunaka%外国行きたい (@mana613) 2014, 11月 3
まあだから、大学院まで奨学金借りた層がしぬるわけですが。月額6万とかはかなりきつい。
奨学金の話してると、じゃあ大学行かなければいいとか、安い国公立に行けばいいとか、的外れな批判されるけど、資源の無い日本で大学での人材育成を放棄するなんて自爆行為だし、家庭の経済力によって能力が発揮できないなんて近代以前のシステムやろ。
— Chika Takimoto (@missbluesguitar) 2014, 11月 2
だから学費免除制度がある。安い国公立に行って、さらに学費免除を受ければいい、ということになる。それにはさほど高度な能力を要求されない。「成績優秀」でないと学費免除は出ないのではあるが、そこまで絶対的優秀性を示さなければならないというほどでもない(下位何%がハネられるかというのは個々の事情でもあり、秘密でもあろうから示さない)。
地方公立高校で講演すると、「お金が無くて大学進学を諦めた」という話をよく聞くが、決して諦めてはいけない。国立大学法人は、成績優秀で、かつ経済的理由で授業料の納付が困難な者は、授業料が免除になる。名古屋工業大学の場合、平成25年度だけで全額免除が815人、半額免除が269人もいる。
— 山内太地 (@yamauchitaiji) 2014, 9月 22
なお学部の収容定員は一部二部合わせて3740とか、大学院のほうは1156名なので、まあざっくり5000名とすると、4人に1人(以上)が全額免除か半額免除なので(名古屋工業大学 平成26年度学生数、PDF資料)、「僕らの払った学費で僕らが望んでいない建物が建つ」という意見は:
僕らの学費で頼んでもいない建物が建つ
— Kei (@Keivich) 2014, 10月 27
ブルジョアないしプチブルにのみ許された発言かと思われ、私(の出身階層)としては階級的に敵対するなあと思われたことではある。
あと、「成績優秀」の定義も想像つきますね、この数字だと。もし仮に学生全員が(相対的)貧困層出身なら、上位25%くらいしか救済されないというわけである。が、貧乏人の子に生まれようと金持ちの子に生まれようと頭のできは期待値的には変わらないと想像されるわけで。かつ子を18そこらまで育てた家庭で世帯収入400万以下がそんなにいるか?ということもあり…実際のところ、「成績優秀」とは「いやまあ留年はしないだろ、まあ確実に」程度を意味する可能性が大いにあるわけで。
なお「(自分が学費免除になることで他のひとの負担が増えるわけで)お国やひと様に迷惑をかけてはいけない」という意識が働いたりもしたり。
…うちは、そんなわけで学部は全額支払った。院に入ってから、『これは止むを得ざることなのだ、正しい行為なのだ』と親を納得させつつ免除を頂いたりしまして(さすがに職を失ったときには納得した)、皆様に感謝申し上げます。
ちゃんと外国の本屋さんから本を出してもらうとか、国際プロジェクトをまわすとか、アジア人民との連帯を深めたりとかしているので血税への恩返しはそこそこできているかと思われ、ご安心頂きたい。大丈夫、企業の尖兵にもなっているから。「君たちは偵察なんだよ」とか言われたし。
他方、「えーじゃあ国公立はいりなよ。で、奨学金借りなよ」という意見には「鬼か」といいたくなるところはあるにはある。
問題は、収入が少ない家庭出身の学生の場合、選択肢が(場合によっては非常に)狭まること。
頭脳の程度が同じ場合、裕福な家庭出身の場合、私立大を選択する余地がある。
だから、「すべりどめ」を用意した上で、本命の国公立を受験することができる。
ウチの場合、某私立を滑り止めにということにして、入学金支払いの用意まではした。本命に落ちたら、その足で某私立の入学金を振り込みに行く予定であった。
ということで、ウチよりも少し収入レベルが低いと、あるいは下に弟・妹がいると、滑り止め受験はできないやら、浪人はしかねるやら(予備校にもいけないわけ)…なので超成績よくないと進学への意欲も選択肢も実際上なくなっちゃうのである。
ウチの研究室の先輩のひとりは、北海道最高の成績を収めたが、受験タイミングで父上が亡くなって、万が一浪人すると大変だからと東大受験をあきらめたそうな。
ましてこれが女の子だとさらに大変で、一番人生に納得いかないのは、家計収入が低い・成績中位層の女の子だろうと思われる。
超成績よければ、まあちょっと受験校のランクを落とせば、安全に進学してかつ授業料免除を勝ち取れる(そこの普通の学生より、成績はよいわけだ)。
超成績悪ければ、そもそも進学なんかできないしー、で一応の納得は可能だ。
だけれど、同じくらいの成績の同級生男子が親の金のおかげで東京の私立とかに進学する一方、『なんで私は進学をあきらめさせられて、就職を選ばされて、はやく結婚しろとか言われるのかしら』という破目に陥りかねない、のが家計収入が低い・成績中位層の女の子の姿として描写できる。
彼女たちに対して、『ああ、君は成績優秀じゃないからね』と言い切るのは、さすがにかなーり気分がわるいのではある。
そうして、問題はここにひとつの焦点をむすぶことだろう。「成績はまあ多少いいくらい」の「低収入家庭出身」の(、特に女)子が、どれほどの社会的援助をうけるべきか、うけてよいか、その社会的合意は成り立つか、と。それは各方面の予算的な裏づけはとれるだろうか、と。
大衆的基盤は、あまり大きなことを許容しない気がする。「国公立に行け」というのはある方向を指し示す。国公立は概ね偏差値的にまずまずのところを行っており、つまり『貧乏だけど優秀な子は国公立に行け。そしてその程度に応じて学費免除を得よ』ということになろう。
…親の年収300万の家の子が、東大に受かって学費免除で奨学金貰って家庭教師のバイトでいい給料貰って就職を決めれば、『うわあ、頑張ったんだねえ』で済むだろう。これは賞賛されるだろう。これをも許容しないのは、門地をもって差別する者と非難されるだろう。
まあ、京大はじめ旧帝大あたりなら、こういうのは許容されるであろうと思う。
うちの地元方面でいけば、山形大とか宮城教育大とか福島大あたりに親の年収(以下略)で就職を決めれば―やはり許容されるだろう。
しかし(差しさわりがあるから具体的に挙げない)大あたりの場合、どうだろう。「そだどこさしかいがんねがっだのがや」といわれるだろう。その学費を社会一般がどれほど保障すべきかということについて、合意ははたして調達できるだろうか。
寺の息子が(某)大に行った際、その学費を檀家で持ったのだが、なぜ寺門の大学でないのかと不満に思う声が出た。教職をとって地元に帰るなら、立派な家に生まれて立派な教えを地元子弟に垂れるということで賞賛されようが、はてはゼロ免課程だったりすると、「なぬすさいったんだがよぅ」といわれるだろう。こうした場合、(いわば)”納税者”の合意を得られていないわけである。
どうすればいいのか、というのはまあ各人いろいろあろう。
社会全体を「上から」眺めると、こうなる:
別に「格差が良くない人間皆平等」という理想論を述べているのではない。重要なのは、教育機会で経済格差が生じると、厚い社会中間層・教育機会均等の元では生来賢く将来のリーダーやイノベーション人材が埋没する可能性が高くなる事だ。若年層人口減少の上にそれだと更に人材が減り日本は低落する。
— Satoshi Matsuoka (@ProfMatsuoka) 2014, 11月 3
私はこういう風に授業で言うわけなのであった。
まあ現実的には「国公立大の学費を下げる」あたりとか、授業料免除を拡大するとか、給付奨学金を増やすとか、まあその辺からはじめるのが落としどころとして楽な気がするなーという。
それでもまだ国立と私立は差があるが、文系が全面的に私学化し、余程上位大学でなければ階層間移動の確度を高める高等教育を受けられず、人間力入試で親の財力が間接的な人生経験を含め合否により強い影響を及ぼせば、更に格差が広がるだろう。このあたり計量経済学と教育学の学際研究はないものか?
— Satoshi Matsuoka (@ProfMatsuoka) 2014, 11月 3
ということで:
社会科学分野においては、法学はともかく経済学がそうであるように、政治学や経営学、そして社会学においても統計的手法を用いた実証研究が中心になるだろうね。今の社会学者はこの点において、にわかコメンテーターと差別化できていないと思う。そういう意味では、統計学は必須アイテムだね。
— NKPM (@KPtan2) 2014, 10月 20
むしろなんでしてないんだというか、してないひとをてきとーに表に出すメディアなりなんなりもなあとか。
もちろん、大学院進学によって収入が上がるのであれば問題は(さほど)ない。
正直、万年助教でもまあまず満足に子育てできるだろう、国公立なら。
さらに研究活動が活発で、外部資金とか取れまくると、発表等での出張がかさなり、正直に研究をしているだけで結構お財布が楽になる(細かいことだが、光熱費等々がわりと浮く)。体はきついが。