基礎から固めるのもほどほどにせいや,ということも.経済学のための数学の勉強やってばっかで一向に経済学の論文が書けない人をうちらの間では「筋トレマニア」と呼んでる.自分にとって重要な問題を考えて,そのための道具立てを探して,それを見つけてから勉強した方が道具の習得も早い(こともある
— Takashi Hayashi (@tkshhysh) 2017年12月12日
この「(こともある」が曲者。学部生でもピアレビューを突破できる論文を書ける人はいるだろう、その場合はさっさと勉強を始めて道具立てをあとから考えるほうが楽。僕もこの見解をとる。だがそもそも(この喩えを利用すれば)「筋力」が無いものが同じことをしようと思っても、非常に困難なのだ。そもそも道具をもてない。もったところで、ふりまわせない。道具に振り回される落ちになる。
とはいえ、学部、院生の頃に数学書やらWellner&Vaartやらを頭から最後まで証明追ったり問題全部解いたりした経験が「経済学、統計学まわりの論文は読もうと思えば全部読める、いざとなったら自分で定理作って証明できる」っていう安心感につながってる感じはする。
— Kohei Kawaguchi (@mixingale) 2017年12月13日
これなのよねえ(ため息)。
自力でひととおり組み立てられる、という安心感。その領域の基礎スキルをそれなりにこなせるという自信、能力。だから基礎教育を重視するんだ、私は。
「先生、これなんですか」「先生、これわかりません」「先生、ここの論理、どうなっているんです」―お釈迦様に「教師の拳」という教えがあり、私は、「教えないこと」は悪いことだと思ってきた。いまもそうだ。だが、指導にあたっては、もっと考えさせることが必要なのだろうなあ。
…とある人は、考えさせることをはじめたら、結局離反したが。
とにかく、基礎作業を嫌がるひとだった。
…まあ、エライひとだと、基礎スキルの訓練ってあんまり必要ないです、という見解もありえる。何しろエライ人たちは、下々に命じれば資料は下々がまとめてくれることがあろう。それをエライ人の優秀なアタマでかるくアレンジすれば―あるいは秘書にアレンジさせれば―ということができなくはない(※下働き経験者の感想です)。
ただまあ、そんなエライひとであり続けるのは、ふつう難しい。組織内の役職から外れたら、そこで資料の供給が途切れる。その後の生産ができなくなる。このエライひとが、単体で有能なひとであれば、組織を離れても生産性を(何らかの形で)維持できる。
なので、生まれながらに上流階級であるひと以外は、それなりの基礎スキルを身につけるべきである、と思うのだ。この際、「上流階級」というのはネット掲示板あたりで言う意味ではない。「上級国民」とか揶揄されるなかの、相当のコア分子だ。私あたりの下級では接触することも困難なレベル。
…ま、私はお師匠さまの指導よろしきを得て、それなりに「基礎体力」があるのでなんとかしましょう。
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