1.
これはうまい説明。
2.
論点が違う。
セクハラ・性犯罪をする者は、男性(女性)たる己の(何らかの)欲望処理の道具として当該の他者を「使用」する者である、と定義してみよう。
さて、ひとは誰しも、他者をそれなりには道具的に利用する面がある。しかしそれに徹しないのは、何らかの抑止力が働いているからだ(それが倫理的な思想信条であれ、なんらかの強制力を恐れることであれ,適当に必要な概念を投げ込んでおけばここでは足りる)。
さてここに、セクハラ係長(男性)を設定しよう。彼は可愛らしい女性とみるや、性的な”いじり”の言葉を投げかける者だとしよう。彼はその本性に従って、見かけた女性に性的な”いじり”の言葉を投げかける。取引先の女性社員だろうが,女性上司だろうがだ。彼の内的世界では、女性というのは性的な”いじり”の言葉が投げかけられるべき存在なのだ。
彼を抑止する力が,この場合,部長(46歳,一人暮らしの大学2年の娘持ち)や課長(27歳美女を嫁にとったばかり)だとかであるというわけだ。
セクハラ係長にはセクハラが分らぬ。”オンナというモノは,その性的魅力を称賛されれば喜ぶものではないか”と頭のテンから信じ込んでいる。だからそうする,『美人な嬢ちゃんですなあ! そのむっちむちのパイオツちゃんで撃チンしたオトコは何人だい?』とか(自分で書いてて,これはひでぇ。何十年前のセンスだ,これは)。セクハラ係長にはセクハラが分らぬ、大学二年の娘ちゃんは,顔をまっかにしているが,これは照れているだけだろう!
ところがセクハラ係長にもわかるものがある。そばにいた部長の額の青筋がまずその第一だ。翌日部長室に呼び出されて風向きを感じ,翌月に急遽孫会社への出向を内示されて,なにか大きなしくじりをしたことを理解する。「うちの娘がね」と部長が解説する。「君のようなセクハラ男を表に出しておいては,社に重大な損失を与えかねないというのだ。僕も同意見だ」。
このセクハラ係長のような人物だと,行き着くところまで行ききることになるが―そこまでではない人物にとって,”上司のお嬢さんに同じことが言えるか”というのは,非常に分りやすく,ある種の抑止力として機能するのである。
セクハラ係長のような彼の内的世界には,女性は主体としては存在しておらず―人格として存在してはおらず,あくまで誰か男性=人格の付属物として女性が存在しているにすぎない。だから,”付属物を付属させている主体”を回路に組み込まなければ,セクハラ・性犯罪をうけた女性の苦しみに相当する何事かを理解できないのだ。シベリアで木の数を数えでもしなければ。
だから,1. のような説明は,そーいう人向けの非常に分りやすいマニュアルとして使えるので,大変よくできていると私は思う。マニュアルは,この場合,使い易ければよい。まあ最低限,期待される限りの用がたせれば,それはその限りよいものである。その限りでは。
ところがそれでは倫理的水準に問題があるし,女性上司に対してはどうしてくれる,などの注意不足がある。その点指摘するのが2. であるが,『初心者はコレ! 誰でもわかるWin8大活用法!』なんてタイトルの入門書にOS内部の挙動について一言も述べてないからクソだという人は普通いないので―扱う水準がちがうんだってこと,理解するとよいのだろうなと。
追記
………年配の、しゃれがわかる方にするのは可と思う…(精一杯の妥協)。あとアルコールをしこたま呑んでからにしていただきたい。「おれそだのかねおん、おれマツタケ専門だがらよ、アワビくってなじょんなっかはおれの旦那さきげやぁ」「おらいでそだカネねぇものシイタケ専門だゃ」「んだらその辺ののっぱらいってとってくればいべスた」「んだればオラその間、川で蜆とりでもすっぺや」「おぅされんだらすてみろ、あいでにさんねべ」だとかいやあのそういう話が許される場はあろうということで。
セクハラや性犯罪に関する文章の中で「取引先のお嬢様や上司の奥様に同じことができなければアウトです」というのが、最もよくセクハラや性犯罪の性質を表した言葉だと思ったっけな。どこで読んだかは忘れたが。
― 奈月れいか (@rkntsk) 2014, 5月 29
これはうまい説明。
2.
ある程度の同意はしつつ、あくまで「お嬢さん」「奥さん」なんだね…取引先にも上司にも女性はいるし、そういう女性にセクハラするやつは後を絶たないのに。つまり、ここで重要なのは地位ではなく、地位を持った男の庇護の有無というクソ
― ユンダ (@y00black) 2014, 5月 29
論点が違う。
セクハラ・性犯罪をする者は、男性(女性)たる己の(何らかの)欲望処理の道具として当該の他者を「使用」する者である、と定義してみよう。
さて、ひとは誰しも、他者をそれなりには道具的に利用する面がある。しかしそれに徹しないのは、何らかの抑止力が働いているからだ(それが倫理的な思想信条であれ、なんらかの強制力を恐れることであれ,適当に必要な概念を投げ込んでおけばここでは足りる)。
さてここに、セクハラ係長(男性)を設定しよう。彼は可愛らしい女性とみるや、性的な”いじり”の言葉を投げかける者だとしよう。彼はその本性に従って、見かけた女性に性的な”いじり”の言葉を投げかける。取引先の女性社員だろうが,女性上司だろうがだ。彼の内的世界では、女性というのは性的な”いじり”の言葉が投げかけられるべき存在なのだ。
彼を抑止する力が,この場合,部長(46歳,一人暮らしの大学2年の娘持ち)や課長(27歳美女を嫁にとったばかり)だとかであるというわけだ。
セクハラ係長にはセクハラが分らぬ。”オンナというモノは,その性的魅力を称賛されれば喜ぶものではないか”と頭のテンから信じ込んでいる。だからそうする,『美人な嬢ちゃんですなあ! そのむっちむちのパイオツちゃんで撃チンしたオトコは何人だい?』とか(自分で書いてて,これはひでぇ。何十年前のセンスだ,これは)。セクハラ係長にはセクハラが分らぬ、大学二年の娘ちゃんは,顔をまっかにしているが,これは照れているだけだろう!
ところがセクハラ係長にもわかるものがある。そばにいた部長の額の青筋がまずその第一だ。翌日部長室に呼び出されて風向きを感じ,翌月に急遽孫会社への出向を内示されて,なにか大きなしくじりをしたことを理解する。「うちの娘がね」と部長が解説する。「君のようなセクハラ男を表に出しておいては,社に重大な損失を与えかねないというのだ。僕も同意見だ」。
このセクハラ係長のような人物だと,行き着くところまで行ききることになるが―そこまでではない人物にとって,”上司のお嬢さんに同じことが言えるか”というのは,非常に分りやすく,ある種の抑止力として機能するのである。
セクハラ係長のような彼の内的世界には,女性は主体としては存在しておらず―人格として存在してはおらず,あくまで誰か男性=人格の付属物として女性が存在しているにすぎない。だから,”付属物を付属させている主体”を回路に組み込まなければ,セクハラ・性犯罪をうけた女性の苦しみに相当する何事かを理解できないのだ。シベリアで木の数を数えでもしなければ。
だから,1. のような説明は,そーいう人向けの非常に分りやすいマニュアルとして使えるので,大変よくできていると私は思う。マニュアルは,この場合,使い易ければよい。まあ最低限,期待される限りの用がたせれば,それはその限りよいものである。その限りでは。
ところがそれでは倫理的水準に問題があるし,女性上司に対してはどうしてくれる,などの注意不足がある。その点指摘するのが2. であるが,『初心者はコレ! 誰でもわかるWin8大活用法!』なんてタイトルの入門書にOS内部の挙動について一言も述べてないからクソだという人は普通いないので―扱う水準がちがうんだってこと,理解するとよいのだろうなと。
追記
【ゆるぼ】なんだべした!いわきのアワビのおかげでxxxさん(女性)の黒アワビもテッカテカだない!プワッハッハッハッハッ!
というpostはアウトか。
— ナナシ=ロボ(福島市) (@robo7c7c) 2014, 6月 2
………年配の、しゃれがわかる方にするのは可と思う…(精一杯の妥協)。あとアルコールをしこたま呑んでからにしていただきたい。「おれそだのかねおん、おれマツタケ専門だがらよ、アワビくってなじょんなっかはおれの旦那さきげやぁ」「おらいでそだカネねぇものシイタケ専門だゃ」「んだらその辺ののっぱらいってとってくればいべスた」「んだればオラその間、川で蜆とりでもすっぺや」「おぅされんだらすてみろ、あいでにさんねべ」だとかいやあのそういう話が許される場はあろうということで。
>というのが、最もよくセクハラや性犯罪の性質を表した言葉だと思ったっけな
を読み落としていた。
だから、1.の人は、上掲の理屈を踏まえたうえでtweetしているのだ。