という読み物。
BBC Coal mining created community and culture. Can clean energy do the same? 8 July 2024
Richard Smyth
炭鉱の産業は危険は大きかったが仲間意識を醸成したものだった。誇りを、芸術を、地域のコミュニティをt繰り上げてきたものだった。さて風力発電のタービンやソーラーパネルはどうだろう? それらの存在する地域に仲間意識を醸成するだろうか?
「Despite the dangers, companionship was fostered in coal mines (Credit: Getty Images)
It was dirty and dangerous, but coal mining also cultivated pride, companionship, and art, writes Richard Smyth. Could communities living alongside wind turbines or solar panels embrace their own forms of industrial culture?」
炭鉱労働者は自らを労働者階級の貴族と自負したものだったそうな。じゃあ…?
「Miners, Burton said, considered themselves "the aristocrats of the working class".」
「 In one of his poems, he addresses a question many former miners have been asked (and must have asked themselves): if you were given another chance, would you go down the pit again? The answer: "I'll say 'no I wouldn't' when I think of dust, sweat and toil/Or 'yes, I would' when it's the men I'm thinkin' about."」
実際のところ、鉱脈に美しさを見出し女性の美に比するような感性は少数派で、常識的には炭鉱労働は避けるべきキッツい仕事であって、「また炭鉱労働したいかい?」と問われればNO!と答える。しかし「また仲間と一緒にやりたいかい?」と訊けば、YESだろう―。
―つまり危険を顧みずに働き、その男ぶりで稼ぎ、しかし仲間同士助けあう―もう男ぶりと書いたからいいだろう、これはナイスガイの仕事現場なのだ。戦場と同じだ。死ぬのは嫌だしそれ自体はクソ仕事と言わざるをえまいが、しかし危険とともに戦友とともにあるいた日々は忘れがたい。
そしてそれで食える。家族を食わせることができる。地域コミュニティを形成できる。
そういう、フェミニズムが嫌いそうなホモソーシャル的なコミュニティの結束と、それに連関して多額の金銭。しかも人数がいないと成り立たない産業。そうした要素が寄り集まっての「炭鉱は誇りを生み、仲間をつくり、文学文芸を生み出し、家族を養い地域を作り上げ、そして文化となった」歴史なわけだ。
―グリーン・エナジーはそうした物語に欠ける。SDGsだとかなんとか、思想を注入してふくらまそうとしているものの、遂には失敗するだろう。―電力の現場と思想注入者との距離があるのだ。現場の一つ、設計製作の技術屋たちは他方、あまりに少数なので、「そうした労働者たちのエートス」を作り上げ世間に認知せしめる「量」に達しない、だろう。
こうした分析・思考をするからには、私は新式電力の新しい文化には期待していないらしい。そんなもんだろう、と思っているみたい。
BBC Coal mining created community and culture. Can clean energy do the same? 8 July 2024
Richard Smyth
炭鉱の産業は危険は大きかったが仲間意識を醸成したものだった。誇りを、芸術を、地域のコミュニティをt繰り上げてきたものだった。さて風力発電のタービンやソーラーパネルはどうだろう? それらの存在する地域に仲間意識を醸成するだろうか?
「Despite the dangers, companionship was fostered in coal mines (Credit: Getty Images)
It was dirty and dangerous, but coal mining also cultivated pride, companionship, and art, writes Richard Smyth. Could communities living alongside wind turbines or solar panels embrace their own forms of industrial culture?」
炭鉱労働者は自らを労働者階級の貴族と自負したものだったそうな。じゃあ…?
「Miners, Burton said, considered themselves "the aristocrats of the working class".」
「 In one of his poems, he addresses a question many former miners have been asked (and must have asked themselves): if you were given another chance, would you go down the pit again? The answer: "I'll say 'no I wouldn't' when I think of dust, sweat and toil/Or 'yes, I would' when it's the men I'm thinkin' about."」
実際のところ、鉱脈に美しさを見出し女性の美に比するような感性は少数派で、常識的には炭鉱労働は避けるべきキッツい仕事であって、「また炭鉱労働したいかい?」と問われればNO!と答える。しかし「また仲間と一緒にやりたいかい?」と訊けば、YESだろう―。
―つまり危険を顧みずに働き、その男ぶりで稼ぎ、しかし仲間同士助けあう―もう男ぶりと書いたからいいだろう、これはナイスガイの仕事現場なのだ。戦場と同じだ。死ぬのは嫌だしそれ自体はクソ仕事と言わざるをえまいが、しかし危険とともに戦友とともにあるいた日々は忘れがたい。
そしてそれで食える。家族を食わせることができる。地域コミュニティを形成できる。
そういう、フェミニズムが嫌いそうなホモソーシャル的なコミュニティの結束と、それに連関して多額の金銭。しかも人数がいないと成り立たない産業。そうした要素が寄り集まっての「炭鉱は誇りを生み、仲間をつくり、文学文芸を生み出し、家族を養い地域を作り上げ、そして文化となった」歴史なわけだ。
―グリーン・エナジーはそうした物語に欠ける。SDGsだとかなんとか、思想を注入してふくらまそうとしているものの、遂には失敗するだろう。―電力の現場と思想注入者との距離があるのだ。現場の一つ、設計製作の技術屋たちは他方、あまりに少数なので、「そうした労働者たちのエートス」を作り上げ世間に認知せしめる「量」に達しない、だろう。
こうした分析・思考をするからには、私は新式電力の新しい文化には期待していないらしい。そんなもんだろう、と思っているみたい。
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