家庭の収入が高くなるにつれ「勉強が得意」と回答する子供が多くなる見事な相関関係だ。しかも裕福な家庭の子の得意科目は「算数」で、貧しい家庭の子の得意科目は「家庭科」だと。もう、自由主義による社会のデフラグは充分じゃないかと言いたくなる。https://t.co/muGMnhdids
— すずもと (@aruto250) 2017年12月14日
NewsWeek 算数が得意な富裕層の子どもと、家庭科が得意な低所得世帯の子ども 2017年12月13日(水)16時45分 舞田敏彦(教育社会学者)
あえていわれんでも、そらそやろというような内容ではある…。
そんなわけで数学が不得意だった、国語・社会がせめてもの得意で、野山で駆け巡っていたため理科の導入にアドバンテージがあったが英語はからっきし、しかし手先の美術等は得意だった職人の子である私ー…。
全面的に同意。私も生まれや出身で特に有利なリソースは無かった。それに昔は、次男坊は親の財産はあてにせず自分の力で生きる覚悟を子供時代から言い聞かされた。幸いにも、だから親は私が勉強頑張れば高等教育を受けるのは(国公立大学なら)支援してくれた。その結果、私の今の人生が可能になった。 https://t.co/KICjGHbHpz
— Norio Nakatsuji (@norionakatsuji) 2018年10月29日
うちは、できるだけ高度な教育を受けてそれを職にして食っていく、という方針だったので、まあ、”助かった”わけである。
今回、東北の中学、高校を訪問して、一つの発見は、東北大の水準をある程度以上にしておかないと、東北に住む優秀な高校生の成長可能性にかなりキャップがかかると言うこと。東京や京都にいかせてもらえるケースは意外に限られる。仙台が限界とよく聞いた。
— 瀧本哲史bot (@ttakimoto) 2017年12月25日
アクアカタリスト ワイ受験生、大学で海洋生物を学びたい
から:
「13: 名無しさん@おーぷん 2018/01/06(土)22:23:01 ID:URD
大学は格付け機関やないで
行って何をするかが重要なんやから」
という正論が見られるが:
日本社会が求めてるのは「大学で高等教育を受けた人」でなく「大学に行けるような家庭環境で育った人」で、大卒はそのスクリーニングに過ぎないのでは、と私は前々から疑ってるんだが、その話と↓みたいな「分断が進んでいる」という話を合わせると、ちょっと気分が暗くなるhttps://t.co/tVfO5KLgRf
— ultraviolet (@raurublock) 2018年1月9日
というのを見ると、大学の重要な社会的機能には格付け機関としてのそれがあり、それがゆえに各学校には厳密な入試が求められるという見解をどこぞでみかけ、ああうん、そうなんだろうなあとか納得してみたり。
空野雑報 「学歴」と社会分断との問題(ネット記事を手がかりにしつつメモ) 2016-12-30
例えばさあ、ツイッターインテリの人たちには想像もつかん世間かも知れないけど、机に向かって勉強すると怒られる家ってのが普通に存在するのよ。夜は寝るまで親と一緒にしょーもないバラエティ番組を見ろ、この温くて貧しい厳しい世界から一人だけ逃げ出そうとするなみたいな同調圧力。
— dada (@yuuraku) 2017年11月21日
例えば、ええ大学受ける子ような子なら日経新聞くらいそこそこ読解できるでしょうけど、そこに載ってる語彙ひとつ取っても田舎の土工の家に生まれた子にとってはファンタジーでも東京の学者の家の子にとってみたら日常なものが幾らでもあるわけでしょう。人生そういうどうにもならん差の積み重ねよ。
— dada (@yuuraku) 2017年12月3日
まあ、薄っぺらい「おしゃれ生活」のみに罪があるわけじゃなくて、例えば「ニュース始まるとチャンネル変える親」でも同様に知的好奇心への遮断は起こり得ると思うけれども、実際問題として教科書や公教育でどうにできる割合って声高に議論されている割合に比べて極々小さいってことは言えるよね。
— dada (@yuuraku) 2017年12月3日
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