今から見れば
とも見えるだろう。
あの当時の記録で気楽にチェックできるのは革新よりの人々の記録だろうし、というか私がみているのはそれらだし、そうした資料的限界はあるのだが―。
―あの当時の”保守勢力”は大企業と結託した産官連合体だっただろう、彼らは富を占有しており、彼らから繁栄の分け前を引き出して我らの生活を、せめて悪化させないように、できれば多少は豊かになるように―というものだったのではないか。
大気汚染がひどすぎたり、海洋汚染がひどすぎたり、琵琶湖が死に掛けたり―
―そんな残念な状態から人民を引き上げるのに力があったのは、そりゃまあ革新勢力だったわけだ。社会党とか共産党とかが、いがみ合いつつもなんとか。
―で、そのままオルグが進むかと思いきや、より以上の繁栄が一般化したあたりで―恐らく70年代後半から80年代―、”生活保守派”が社会の相当部分を占めるようになってきたり、ということなのかな、と。
小田急の下北沢あたりの地下化なんかもそうだけれど、1960年代から70年代にかけての市民運動とは、結局生活保守派の「今のままがいい」という戯れ言でしかなかったかと痛感する。それを革新と呼ばれる政治勢力が支援していたのは今となってはお笑いかもしれない。
— 松浦晋也 (@ShinyaMatsuura) 2018年6月7日
とも見えるだろう。
あの当時の記録で気楽にチェックできるのは革新よりの人々の記録だろうし、というか私がみているのはそれらだし、そうした資料的限界はあるのだが―。
―あの当時の”保守勢力”は大企業と結託した産官連合体だっただろう、彼らは富を占有しており、彼らから繁栄の分け前を引き出して我らの生活を、せめて悪化させないように、できれば多少は豊かになるように―というものだったのではないか。
大気汚染がひどすぎたり、海洋汚染がひどすぎたり、琵琶湖が死に掛けたり―
―そんな残念な状態から人民を引き上げるのに力があったのは、そりゃまあ革新勢力だったわけだ。社会党とか共産党とかが、いがみ合いつつもなんとか。
―で、そのままオルグが進むかと思いきや、より以上の繁栄が一般化したあたりで―恐らく70年代後半から80年代―、”生活保守派”が社会の相当部分を占めるようになってきたり、ということなのかな、と。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます