丁度興味ある分野の件でニュースを見たので、メモ。
RecordChina “日本軍が朝鮮人女性30人を銃殺”韓国研究チームが慰安婦虐殺記録の原本を発見=韓国ネット「慰安婦合意はどうなる?」「問題を蒸し返さないで」 2016年11月7日(月) 13時0分
「慰安婦の虐殺文書を発見・公開したソウル大人権センターの研究チームは、ソウル市の支援を受けて7〜8月に米国立公文書記録管理局の現地調査を行い、慰安婦に関する資料113件を収集。4日にソウル大で収集した資料の内容と研究成果を発表した」
「研究チームは「日本軍は敗戦直後、慰安婦女性の存在を隠すために虐殺した」とし、その証拠として日本軍による慰安婦女性30人の銃殺が記録された中国雲南遠征軍の1944年9月15日付の作戦日誌を公開した。慰安婦女性30人の銃殺が記録された作戦日誌は97年に初めてその存在が表面化したが、所蔵先などは確認されていなかった」
「敗戦ってwww 戦争終結は1945年だぜwww」という条件反射的な反応と、それに付随してネット掲示板的反応が起こるかなあ、という一例:
Netouyonews 【反応】“日本軍が朝鮮人女性30人を銃殺”韓国研究チームが慰安婦虐殺記録の原本を発見=韓国ネット「慰安婦合意はどうなる?」「問題を蒸し返さないで」 2016年11月08日20:00
厳選!韓国情報 「日本軍が朝鮮人慰安婦30人を銃殺した」 韓国研究チームが慰安婦虐殺記録の原本を発見 韓国ネット「慰安婦合意はどうなる?」 2016年11月08日 00:11
ポイントは「中国雲南遠征軍」の語。ぐぐればわかるが、雲南遠征軍の「見せ場」の最たるもの(のひとつ)は、あの(地獄の)「拉孟・騰越の戦い」(日本語版Wikipedia)である。Wikipediaによれば、「拉孟・騰越の戦い(らもう・とうえつのたたかい)は、1944年6月2日から1944年9月14日まで中国・雲南省とビルマ(現ミャンマー)との国境付近にある拉孟(保山市竜陵県)・騰越(同市騰衝市)地区で行われた、日本軍と中国・アメリカ軍(雲南遠征軍)の陸上戦闘のことを言う」。
孤島で玉砕する例は多いが、陸上戦で文字通りの「ほぼ全滅」してしまった、あの拉孟・騰越である。
即ち、「1944年9月15日付の作戦日誌」は、拉孟・騰越を壊滅させたあとの、最初期の捕虜の供述を記録したものと即断してよい(上掲纏めブログにも、雲南遠征軍の戦闘終了後の意味だろう、と指摘する声が記録される)。すると、たちどころに明らかになるが―朝鮮人慰安婦だけで30名を殺せた―というのは、明らかに多すぎる。
Wikipediaの記載では、拉孟では「この戦闘で20名いた慰安婦のうち、15名の日本人慰安婦は自決、5名の朝鮮人慰安婦は雲南軍に投降した」とある。従って、30名の朝鮮人慰安婦を殺すには、単純計算で拉孟が6回必要になる。
但し、戦記をみると、日本人(約5名)/朝鮮人(約15名)比率は概ね逆である(と記憶する)。これなら、拉孟2回分。無理な数ではなくなるようにも思える。
しかしこの場合、最終段階で生き残ってなんとか中国軍に収容されたと伝えられる約20名が問題になる―。
―というか、最終局面で、そんなに銃弾に余りがあったのか、という。
実際のところ、これは自決用の毒で「処分」を求めた下士官がいたわけで、この者の発言が記録・誤伝・供述段階で改変された、という程度に留まるだろう。現実には命令は実施されず―最末期には各個、ろくろく掌握されず、不明分はまとめて9/7付け玉砕にしたりしたわけである―尋問調書段階では、自分が把握した限りのことを話した、ざっくりした話をした、と見てよいだろう。
―でないと、あとで管理側が強姦やらかして、捕虜が抗議した、という伝も成り立たなくなる。
そんなわけで、例によって飛ばし・ナニカのタメにする記事、ということでスルー推奨、ということでよいか、と思われる。
RecordChina “日本軍が朝鮮人女性30人を銃殺”韓国研究チームが慰安婦虐殺記録の原本を発見=韓国ネット「慰安婦合意はどうなる?」「問題を蒸し返さないで」 2016年11月7日(月) 13時0分
「慰安婦の虐殺文書を発見・公開したソウル大人権センターの研究チームは、ソウル市の支援を受けて7〜8月に米国立公文書記録管理局の現地調査を行い、慰安婦に関する資料113件を収集。4日にソウル大で収集した資料の内容と研究成果を発表した」
「研究チームは「日本軍は敗戦直後、慰安婦女性の存在を隠すために虐殺した」とし、その証拠として日本軍による慰安婦女性30人の銃殺が記録された中国雲南遠征軍の1944年9月15日付の作戦日誌を公開した。慰安婦女性30人の銃殺が記録された作戦日誌は97年に初めてその存在が表面化したが、所蔵先などは確認されていなかった」
「敗戦ってwww 戦争終結は1945年だぜwww」という条件反射的な反応と、それに付随してネット掲示板的反応が起こるかなあ、という一例:
Netouyonews 【反応】“日本軍が朝鮮人女性30人を銃殺”韓国研究チームが慰安婦虐殺記録の原本を発見=韓国ネット「慰安婦合意はどうなる?」「問題を蒸し返さないで」 2016年11月08日20:00
厳選!韓国情報 「日本軍が朝鮮人慰安婦30人を銃殺した」 韓国研究チームが慰安婦虐殺記録の原本を発見 韓国ネット「慰安婦合意はどうなる?」 2016年11月08日 00:11
ポイントは「中国雲南遠征軍」の語。ぐぐればわかるが、雲南遠征軍の「見せ場」の最たるもの(のひとつ)は、あの(地獄の)「拉孟・騰越の戦い」(日本語版Wikipedia)である。Wikipediaによれば、「拉孟・騰越の戦い(らもう・とうえつのたたかい)は、1944年6月2日から1944年9月14日まで中国・雲南省とビルマ(現ミャンマー)との国境付近にある拉孟(保山市竜陵県)・騰越(同市騰衝市)地区で行われた、日本軍と中国・アメリカ軍(雲南遠征軍)の陸上戦闘のことを言う」。
孤島で玉砕する例は多いが、陸上戦で文字通りの「ほぼ全滅」してしまった、あの拉孟・騰越である。
即ち、「1944年9月15日付の作戦日誌」は、拉孟・騰越を壊滅させたあとの、最初期の捕虜の供述を記録したものと即断してよい(上掲纏めブログにも、雲南遠征軍の戦闘終了後の意味だろう、と指摘する声が記録される)。すると、たちどころに明らかになるが―朝鮮人慰安婦だけで30名を殺せた―というのは、明らかに多すぎる。
Wikipediaの記載では、拉孟では「この戦闘で20名いた慰安婦のうち、15名の日本人慰安婦は自決、5名の朝鮮人慰安婦は雲南軍に投降した」とある。従って、30名の朝鮮人慰安婦を殺すには、単純計算で拉孟が6回必要になる。
但し、戦記をみると、日本人(約5名)/朝鮮人(約15名)比率は概ね逆である(と記憶する)。これなら、拉孟2回分。無理な数ではなくなるようにも思える。
しかしこの場合、最終段階で生き残ってなんとか中国軍に収容されたと伝えられる約20名が問題になる―。
―というか、最終局面で、そんなに銃弾に余りがあったのか、という。
実際のところ、これは自決用の毒で「処分」を求めた下士官がいたわけで、この者の発言が記録・誤伝・供述段階で改変された、という程度に留まるだろう。現実には命令は実施されず―最末期には各個、ろくろく掌握されず、不明分はまとめて9/7付け玉砕にしたりしたわけである―尋問調書段階では、自分が把握した限りのことを話した、ざっくりした話をした、と見てよいだろう。
―でないと、あとで管理側が強姦やらかして、捕虜が抗議した、という伝も成り立たなくなる。
そんなわけで、例によって飛ばし・ナニカのタメにする記事、ということでスルー推奨、ということでよいか、と思われる。
(http://www.awf.or.jp/pdf/0062_p061_088.pdf)PDF。
品野 実「異域の鬼―拉孟全滅への道」
を見ればいいかと思うおぼろげな記憶。
…まあねえ、政治問題化して以来、冷静な議論ができない話題だしねえ…。