冬の雲仙普賢岳 2012年2月撮影(現在は足の療養中…)
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読書三昧もあまりに過ぎると、からだのあちこちに異常をきたす。
肩がこる、目がかすむ、ひいては偏頭痛が…、といった具合に。
昔から言われるように、「何事もほどほどに」が一番。
「晴耕雨読」これこそが最高に贅沢な生き方なのかもしれない。
さて、年の瀬である。
長引く不況で新年を迎えるのが容易でない人も少なくないのでは。
毎日新聞の「余録」にも、「銭金がなくては超えられない冬と春の峠」と
「世間胸算用」の一節を引用して年の暮れのことを書いていたが、
今年は特にそのことが気にかかる。
というのも、次の一文が脳裏に焼き付いてはなれないからだ。
「奈落の底にうごめいている浪人物の悲哀は、
衣食に憂いのない人々に、しょせんわかってもらえることではなかった。
血迷った求女(主人公の娘婿)のみれんをあざけり笑ったその人々が、
同じ立場に立たされた時、どれだけのことができるというのか」
今、私がハマっている、滝口康彦氏の「異聞浪人記」の一節である。
わずか30ページの短編小説だが、
主人公のせりふ一語一語に込めた滝口氏の悲痛の訴えが胸に突き刺さる。
私も、「衣食に憂いのない人々」の一人で、
本当に生活に苦しんでいる人の大変さを慮っていなかったと反省させられる。
滝口氏は長崎県の出身だが、佐賀県多久市で執筆活動をされた。
昨年「一命」というタイトルで、「異聞浪人記」の2回目の映画化が実現したが、
これをを記念して、佐賀県立図書館は「佐賀が生んだ時代小説家 滝口康彦」
ということで特別展を企画されたという。すばらしい企画である。
もっともっと滝口氏のことを紹介して、
多くの人に滝口作品を読んでもらいたいと切に思う。
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読書三昧もあまりに過ぎると、からだのあちこちに異常をきたす。
肩がこる、目がかすむ、ひいては偏頭痛が…、といった具合に。
昔から言われるように、「何事もほどほどに」が一番。
「晴耕雨読」これこそが最高に贅沢な生き方なのかもしれない。
さて、年の瀬である。
長引く不況で新年を迎えるのが容易でない人も少なくないのでは。
毎日新聞の「余録」にも、「銭金がなくては超えられない冬と春の峠」と
「世間胸算用」の一節を引用して年の暮れのことを書いていたが、
今年は特にそのことが気にかかる。
というのも、次の一文が脳裏に焼き付いてはなれないからだ。
「奈落の底にうごめいている浪人物の悲哀は、
衣食に憂いのない人々に、しょせんわかってもらえることではなかった。
血迷った求女(主人公の娘婿)のみれんをあざけり笑ったその人々が、
同じ立場に立たされた時、どれだけのことができるというのか」
今、私がハマっている、滝口康彦氏の「異聞浪人記」の一節である。
わずか30ページの短編小説だが、
主人公のせりふ一語一語に込めた滝口氏の悲痛の訴えが胸に突き刺さる。
私も、「衣食に憂いのない人々」の一人で、
本当に生活に苦しんでいる人の大変さを慮っていなかったと反省させられる。
滝口氏は長崎県の出身だが、佐賀県多久市で執筆活動をされた。
昨年「一命」というタイトルで、「異聞浪人記」の2回目の映画化が実現したが、
これをを記念して、佐賀県立図書館は「佐賀が生んだ時代小説家 滝口康彦」
ということで特別展を企画されたという。すばらしい企画である。
もっともっと滝口氏のことを紹介して、
多くの人に滝口作品を読んでもらいたいと切に思う。