吉井勇が若き日に、新詩社の仲間五人と九州を旅した「五足の靴」の足跡を辿っています。
今回は崇福寺です。
崇福寺は長崎にある唐寺の中で吉井勇が最も愛した寺らしく、崇福寺を詠んだ歌の多さがそのことを物語っています。
ただし、吉井が崇福寺をゆっくりと拝観したのは二度目の来崎である大正9年以降で、「五足の靴」のときには人力車の車中から見ただけかもしれません。
吉井勇、長崎再訪の様子。
「私が二度目に長崎に来たとき、即ち大正9年永見夏汀君の所に寄寓してゐた時だらうと思ふ。この時はほとんど毎日のように茂吉君と連れ立って崇福寺、福済寺、浦上と大浦の天主堂を見て歩いたばかりでなく…」(「筑後雑記」の「茂吉を思ふ」より抜粋)
その時詠んだ歌が歌集「夜の心」の「長崎紀行」に収められています。
赤寺の沙門即非の額にさす夕日は悲し支那人ひとりゆく
そんな吉井が愛した崇福寺を訪ねました。
まずは竜宮門(三門)
ひときわ目を引く赤い門で、正面の大きな門の両側に脇門があるので「三門」とも言います。
扁額の「聖壽山」は隠元和尚の筆だそうです。
この竜宮門をくぐって、いざ私自身初めての崇福寺へ。
竜宮門はあまりにも目立つので何度も目にしてましたが、入るのは畏れ多い気がしていました。
振り返ってみても、やはりカッコいい!
そして坂を登ったところにあるのが国宝「第一峰門」です。
この門に対面した時の喜びを吉井は歌に詠んでいます。
これやこの朱塗りの壁の唐づくり沙門即非の額のある寺
この歌は歌集「旅塵」に収められているので、昭和11年の大歌行脚の時に詠んだ歌かもしれません。
「沙門即非の額」アップ!
即非は、竜宮門の扁額を書いた隠元と同じく黄檗宗三筆の一人です。
赤寺の沙門即非の額にさす夕日はかなし支那人ひとりゆく
(歌集「夜の心」の「長崎紀行」)
国宝「大雄宝殿」
もの思へば魚板の音もうらがなし海西法窟の春のゆふぐれ
(「長崎紀行」)
建物の前の廊下
天井がアーチ状になっていて、これは日本にはない特徴で黄檗天井といわれるものです。
宝殿の中
中央に釈迦三尊像、その両サイドには十八羅漢が並んでいます。
護法堂の中にある関帝堂
「三国志」の英雄関羽が祭ってあります。「三国志」ファンにはたまりません。
関帝のおはす御堂に夕日さしこのゆふぐれのしづかなるかも
(「長崎紀行」)
同じく護法堂の天王殿
ここには韋駄天が祭ってあります。
雨降りて堂ぬち暗く韋駄天の像の額も寂しきろかも
(歌集「旅塵」の「支那寺」)
媽祖堂門
旅ごころ少し寂しく支那寺の媽祖堂みちを往きにけるかも
(「支那寺」)
媽祖堂の中
媽祖をお守りする随神の順風耳と千里眼
よく聞こえる耳とよく見える目、この2神にあやかりたいものです。
媽祖は航海安全の神様ですが、そのためにも順風耳と千里眼のサポートは重要だったのでしょう。でも、この2神は昔は悪神だったのですが、媽祖によって改心したそうです。阿修羅みたいですね。
ひと通り見学し竜宮門に帰ってきました。
吉井勇が愛した崇福寺でした。よほど気に入ったのでしょう、吉井はたくさんの歌を残しています。
明僧の超然和尚建てましし寺に来て聴く雨の音かな
支那寺の門の傍の家ゆかし劉としるすは通詞の家か
雨の日の黄檗宗の石だたみ濡いろすがし踏ままくは惜し
赤寺の屋根に降りしく雨のなか石段降りて支那をとめ来る
唐寺の鐘の音にもうなだれてさすらいびとは涙ながしむ
吉井が崇福寺に行くときはいつも雨模様だったのでしょうか、雨とセットで詠んでいる歌が多いです。
吉井はつぶやいたことでしょう。
「長崎は今日も雨だった」
今回は崇福寺です。
崇福寺は長崎にある唐寺の中で吉井勇が最も愛した寺らしく、崇福寺を詠んだ歌の多さがそのことを物語っています。
ただし、吉井が崇福寺をゆっくりと拝観したのは二度目の来崎である大正9年以降で、「五足の靴」のときには人力車の車中から見ただけかもしれません。
吉井勇、長崎再訪の様子。
「私が二度目に長崎に来たとき、即ち大正9年永見夏汀君の所に寄寓してゐた時だらうと思ふ。この時はほとんど毎日のように茂吉君と連れ立って崇福寺、福済寺、浦上と大浦の天主堂を見て歩いたばかりでなく…」(「筑後雑記」の「茂吉を思ふ」より抜粋)
その時詠んだ歌が歌集「夜の心」の「長崎紀行」に収められています。
赤寺の沙門即非の額にさす夕日は悲し支那人ひとりゆく
そんな吉井が愛した崇福寺を訪ねました。
まずは竜宮門(三門)
ひときわ目を引く赤い門で、正面の大きな門の両側に脇門があるので「三門」とも言います。
扁額の「聖壽山」は隠元和尚の筆だそうです。
この竜宮門をくぐって、いざ私自身初めての崇福寺へ。
竜宮門はあまりにも目立つので何度も目にしてましたが、入るのは畏れ多い気がしていました。
振り返ってみても、やはりカッコいい!
そして坂を登ったところにあるのが国宝「第一峰門」です。
この門に対面した時の喜びを吉井は歌に詠んでいます。
これやこの朱塗りの壁の唐づくり沙門即非の額のある寺
この歌は歌集「旅塵」に収められているので、昭和11年の大歌行脚の時に詠んだ歌かもしれません。
「沙門即非の額」アップ!
即非は、竜宮門の扁額を書いた隠元と同じく黄檗宗三筆の一人です。
赤寺の沙門即非の額にさす夕日はかなし支那人ひとりゆく
(歌集「夜の心」の「長崎紀行」)
国宝「大雄宝殿」
もの思へば魚板の音もうらがなし海西法窟の春のゆふぐれ
(「長崎紀行」)
建物の前の廊下
天井がアーチ状になっていて、これは日本にはない特徴で黄檗天井といわれるものです。
宝殿の中
中央に釈迦三尊像、その両サイドには十八羅漢が並んでいます。
護法堂の中にある関帝堂
「三国志」の英雄関羽が祭ってあります。「三国志」ファンにはたまりません。
関帝のおはす御堂に夕日さしこのゆふぐれのしづかなるかも
(「長崎紀行」)
同じく護法堂の天王殿
ここには韋駄天が祭ってあります。
雨降りて堂ぬち暗く韋駄天の像の額も寂しきろかも
(歌集「旅塵」の「支那寺」)
媽祖堂門
旅ごころ少し寂しく支那寺の媽祖堂みちを往きにけるかも
(「支那寺」)
媽祖堂の中
媽祖をお守りする随神の順風耳と千里眼
よく聞こえる耳とよく見える目、この2神にあやかりたいものです。
媽祖は航海安全の神様ですが、そのためにも順風耳と千里眼のサポートは重要だったのでしょう。でも、この2神は昔は悪神だったのですが、媽祖によって改心したそうです。阿修羅みたいですね。
ひと通り見学し竜宮門に帰ってきました。
吉井勇が愛した崇福寺でした。よほど気に入ったのでしょう、吉井はたくさんの歌を残しています。
明僧の超然和尚建てましし寺に来て聴く雨の音かな
支那寺の門の傍の家ゆかし劉としるすは通詞の家か
雨の日の黄檗宗の石だたみ濡いろすがし踏ままくは惜し
赤寺の屋根に降りしく雨のなか石段降りて支那をとめ来る
唐寺の鐘の音にもうなだれてさすらいびとは涙ながしむ
吉井が崇福寺に行くときはいつも雨模様だったのでしょうか、雨とセットで詠んでいる歌が多いです。
吉井はつぶやいたことでしょう。
「長崎は今日も雨だった」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます