TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

長崎探訪⑨ 丸山「五足の靴」の足跡を辿るなかで

2022年12月08日 | 吉井勇
「五足の靴」の足跡を辿って長崎の街を歩いています。
今回は「五人連れ」が宿泊した上野屋旅館周辺と丸山を訪ねました。

眼鏡橋


長崎に多き石橋また今日もわたりてゆきぬ支那寺を見に(歌集「旅塵」)

この石橋をかけたのは支那寺興福寺の2代住持黙子如定と伝えられています。その黙子の像が橋の横に建てられていました。



次に向かったのが上野屋旅館跡です。
上野屋旅館は当時は長崎を代表する大きな旅館だったそうですが、原爆で倒壊して今はありません。現在は旅館の跡地に長崎家庭裁判所が建っています。

上野屋旅館跡


上野屋旅館跡地の近くに「五足の靴」の記念碑が建てられています。

「五足の靴碑」


石碑


説明板



五人連れは旅館で一服した後、長崎の夜の巷にくり出したようです。
その足どりについては、鶴田文史氏が発掘された「『五足の靴』長崎ロード」(「西海の南蛮文化探訪『五足の靴』幻の長崎編・要の島原編」)を参考にさせてもらいました。


夕刻の出島を通り





支那街を抜けて






この説明板の中に「吉井勇」の名を見つけることができました。


唐人屋敷跡を見て



そして丸山へ


上の写真は丸山町交番ですが、このあたりに花街の二重門があったそうです。

説明板





五人連れが接待を受けたであろう丸山花月

「花月」




奥に進むと


残念ながら予約客しかこの先には入れません。



丸山公園に当時の写真がありました。



「五足の靴」のときの歌ではありませんが、

長崎の丸山の夜の辻をば四つ竹鳴らしゆくは誰が子ぞ

ぎやまんの大酒杯を手に取れば寛濶ごころおさへかねつも

忘るなと口疾に云ひて丸山のたはれめが挿す玳瑁の櫛

かりそめにかき抱けどもしみじみとかなしきかなや夜の女は

―以上歌集「夜の心」長崎紀行より―



翌日「五人連れ」は11時に茂木港を出港していますので、長崎滞在は一日だけでした。さぞかし密度の濃い長崎だったと思いますが、後日次のように嘆いています。

「長崎、長崎、あの慕かしい土地を何故一日で離れたらう。顧みて云ひ知らず残り惜しい」
(「五足の靴」(一七)熊本)


明治40年の「五足の靴」での長崎訪問が強烈な印象を吉井勇に与えたのでしょう。その後、十数回も長崎を訪れ、たくさんの歌を詠んでいます。

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