TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

安勝寺の鐘楼建替 ⑤ 蘇った石垣と礎石

2018年03月22日 | 諫早

H29 8月16日 前回からちょっと間が空きすぎたか…
久しぶりに安勝寺を訪ねたら防護のネットで覆われていた。大きな足場を見たら一気に期待が高まった。









石垣が完成していた。



時計がなかった300年前、「時の鐘」を広く諫早中に届けるために、少しでも高く築きたかったろう石垣が当時のままに蘇っていた。


石段を登ってみると鐘楼の基礎ができつつあった。






礎石に記された「北左」



石垣が築かれ、礎石が整った。次はいよいよ鐘楼の復元である。

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安勝寺の鐘楼建替 ④ 石を積む準備

2018年03月21日 | 諫早
H29 3月4日  石垣の復元作業が行われていた。
















石の位置を慎重に決めていく職人さん達






H29 3月19日 いよいよ石が積まれていく。
ここでも重機が活躍












白い紙に記された「キ1」から順に元の位置に並べられていく。「キ1」の「キ」は北側のこと。石垣の復旧は、新たに石垣を積むのとは比べものにならないほど大変な作業で、さながら人智を結集した3次元ジグソーパズルだ。

-続く-
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安勝寺の鐘楼建替 ③  撤去された石垣

2018年03月21日 | 諫早
1か月後訪ねたら、石垣は完全になくなっていた。

H29 2月19日 重機を使ってものものしく作業が行われていた。









取り外された石






取り外された柱
 


 ここまで大がかりな解体復旧工事であったことをあらためて思い知らされた。
約300年の歴史ある安勝寺の鐘楼の復旧に門徒らが立ち上がったというが、平成28年12月24日の毎日新聞の記事には「今後400年も500年も残る鐘楼にしたい」との思いが記されていた。

 安勝寺に「時の鐘」をということで鐘楼が計画されたのが1720年で、戦争中の1944年にお国に鐘を供出するまでの224年間、一日も休むことなく「時の鐘」を打ち続けたという歴史を持つ安勝寺。その鐘楼再建には、「今後400年も500年も」平和で穏やかな世の中が続いて欲しいという願いが込められている。
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安勝寺の鐘楼建替 ② 石垣を覆うブルーシート よく見ると…

2018年03月20日 | 諫早
さて、新しい年を迎えた。

H29 1月3日 境内に入ると、まず目に飛び込んできたのはブルーシート



よく見ると一つ一つの石に白い張り紙がしてある。



下段左からキ1、キ2,キ3,…と順序よく。



こちらは東側なので「ヒ」の記号が付されている。



熊本地震の揺れで、石垣にすき間が生じたということだったが、石垣を積み直す準備なのか?



【前回紹介した新聞記事の要約】

 H28 4月14日 震度4の揺れ  石垣にすき間が生じる
 H28 4月16日 震度5弱の揺れ 鐘楼が傾き倒壊の恐れ
 H28 9月    解体復旧工事に着手


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安勝寺の鐘楼建替 ① 消えた時鐘楼

2018年03月19日 | 諫早
H27 12月20日 在りし日の安勝寺の鐘楼











諫早の名刹安勝寺。冒頭に「在りし日の」とことわったのは、この姿がいつまでも存在し続けると思っていたからだ。ところが、ある日突然…


H28 11月1日 ある会合のついでに立ち寄って驚く。



ないのだ!石垣の上の鐘楼がすっぽりと



はずされた瓦


石垣の上には200数年鐘楼を支えてきた礎石だけが残っていた



これには驚いた。この解体が熊本地震の被害によるものだと知ったのはもう少し後のことだった。


H28 12月24日 毎日新聞の記事 

 「寺によると、鐘楼は土台の石垣を含め高さ約9メートル。熊本地震による4月14日の震度4の揺れで石垣の間に隙間(すきま)が生じた。更に、16日には震度5弱の揺れに見舞われ、鐘楼が傾き、倒壊の恐れが出た。安全性などから小規模な鐘楼に建て替える案もあったが、門徒から『鐘楼は諫早市民の財産。後世に残そう』と原状復元を望む声が上がり、9月に解体復旧に着手した。」( 毎日新聞2016年12月24日 地方版)
 さらにこの記事には 「年末年始の除夜の鐘には復旧が間に合わなかったが、寺は『再来年の正月には地震からの復興の鐘を響かせたい』と願う。」と書いてあった。


 さて、安祥寺についても先ほどの新聞記事で紹介してあった。

 「安勝寺の歴史は古い。江戸時代の領主、諫早氏が1720年、朝昼晩の時刻を知らせるため、鐘突きを命じた。寺は大名など要人が宿泊する『本陣』になっており、1826年には長崎から江戸に向かう途中のシーボルトら一行も宿泊。シーボルトの紀行文に『提灯(ちょうちん)の火をたよりに8時ごろ諫早につき、寺に泊まった』『(翌朝の)7時にたち、海岸沿いに気持ちの良い道を進んだ』などと時刻を記載しており、時の鐘も聞いたと推測される。」 -続く-

 
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ウォーキングイベント  自然の中を歩く

2018年03月14日 | その他
諫早のウォーキングイベントに参加したときの様子です。


冬の間休んでいる田んぼ。



その周りの柵が気になっていましたが、ちょっと横道にそれたらこんなものが…



イノシシがいるんだ…


諫早の西部を流れる今村川 青い空を川面に写しゆったりと






川辺に生い茂った葦  根元の岩にはよく見ると牡蠣打ちの跡が…



道端の地蔵さんには、おそろいのエプロン(車のイラスト)



さらに進むと「地蔵菩薩」の盛大な幟旗



中をのぞいてみると真新しい菩薩像



妙に気になった畑の石崖



こんな山奥の藪の中に、何故? ひょっとして昔の山城の跡?



日岳公園を目指して、少しずつ高度を上げていきます。


畑の向こうに青い海が



反対側に目をやると、雲仙の山々!



頂上付近には春を待つ桜並木



ついに日岳公園に到着 



大村湾が一望できる観光スポットは今、梅の盛り



そしてロードもいよいよ後半


逆光に映える竹林



カラスの悪戯?



しばらく行くと



みかん畑



ピンクの椿












青空の下で、久しぶりに自然を満喫しました。
16㎞の行程ではありましたが、ロードと思って甘く考えていたらけっこう足にきて、自分が思っている以上に体力が落ちていることを思い知らされました。

そういえばワンゲル時代も唐津ロードを甘く考えていたら、とんでもない目に遭ったな…
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