H27 12月20日 在りし日の安勝寺の鐘楼
諫早の名刹安勝寺。冒頭に「在りし日の」とことわったのは、この姿がいつまでも存在し続けると思っていたからだ。ところが、ある日突然…
H28 11月1日 ある会合のついでに立ち寄って驚く。
ないのだ!石垣の上の鐘楼がすっぽりと
はずされた瓦
石垣の上には200数年鐘楼を支えてきた礎石だけが残っていた
これには驚いた。この解体が熊本地震の被害によるものだと知ったのはもう少し後のことだった。
H28 12月24日 毎日新聞の記事
「寺によると、鐘楼は土台の石垣を含め高さ約9メートル。熊本地震による4月14日の震度4の揺れで石垣の間に隙間(すきま)が生じた。更に、16日には震度5弱の揺れに見舞われ、鐘楼が傾き、倒壊の恐れが出た。安全性などから小規模な鐘楼に建て替える案もあったが、門徒から『鐘楼は諫早市民の財産。後世に残そう』と原状復元を望む声が上がり、9月に解体復旧に着手した。」( 毎日新聞2016年12月24日 地方版)
さらにこの記事には 「年末年始の除夜の鐘には復旧が間に合わなかったが、寺は『再来年の正月には地震からの復興の鐘を響かせたい』と願う。」と書いてあった。
さて、安祥寺についても先ほどの新聞記事で紹介してあった。
「安勝寺の歴史は古い。江戸時代の領主、諫早氏が1720年、朝昼晩の時刻を知らせるため、鐘突きを命じた。寺は大名など要人が宿泊する『本陣』になっており、1826年には長崎から江戸に向かう途中のシーボルトら一行も宿泊。シーボルトの紀行文に『提灯(ちょうちん)の火をたよりに8時ごろ諫早につき、寺に泊まった』『(翌朝の)7時にたち、海岸沿いに気持ちの良い道を進んだ』などと時刻を記載しており、時の鐘も聞いたと推測される。」 -続く-