旧西伯郡淀江町(よどえちょう)は鳥取県の西部に位置し、日本海に面した町です。町域には「妻木晩田遺跡」「向山古墳群」「上淀廃寺跡」など多くの遺跡があり古代より栄えていた事が伺えます。「淀江」の名は「よどんだ入江」からと言われ「大山寺縁起」にその記述が残されています。中世には海岸線を東西に走る山陰道と、南の日野郡へ向かう交通路の交点として、さらには湊(みなと)としての利用も有、西伯耆の要衝として発展。江戸時代、享保年間以降は特に港町、また藩倉所在地として栄え、幕末には淀江台場が築かれました。
稲福橋のレリーフは日本最大の国指定史跡「妻木晩田遺跡」から出土した「盾持人埴輪」。「町の木:モクセイ」「町の花:ツツジ」を制定。
旧キャッチフレーズは「水と緑と史跡のまち」
明治22年(1889)、町村制の施行により、汗入郡淀江町・大和村・宇田川村・高麗村が発足。
1896年、郡制の施行のため汗入郡・会見郡の区域をもって西伯郡が発足。
1955年、西伯郡大和村・宇田川村・高麗村今津と新設合併、新・淀江町が発足。
2005年、米子市と新設合併、米子市淀江町となりました。
マンホールには「天の真名井(あめのまない)」と「水車」、「名水と石馬の里」の文字があります。
「天の真名井(あめのまない)」の水車小屋
昭和40年9月制定の町章は「淀江町の「江」の字を図案化したものです」
撮影日:2012年4月21日&2016年10月22日