車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 鳥取県旧淀江町(米子市)

2017年07月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

旧西伯郡淀江町(よどえちょう)は鳥取県の西部に位置し、日本海に面した町です。町域には「妻木晩田遺跡」「向山古墳群」「上淀廃寺跡」など多くの遺跡があり古代より栄えていた事が伺えます。「淀江」の名は「よどんだ入江」からと言われ「大山寺縁起」にその記述が残されています。中世には海岸線を東西に走る山陰道と、南の日野郡へ向かう交通路の交点として、さらには湊(みなと)としての利用も有、西伯耆の要衝として発展。江戸時代、享保年間以降は特に港町、また藩倉所在地として栄え、幕末には淀江台場が築かれました。

稲福橋のレリーフは日本最大の国指定史跡「妻木晩田遺跡」から出土した「盾持人埴輪」「町の木:モクセイ」「町の花:ツツジ」を制定。

旧キャッチフレーズは「水と緑と史跡のまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により、汗入郡淀江町・大和村・宇田川村・高麗村が発足。

1896年、郡制の施行のため汗入郡・会見郡の区域をもって西伯郡が発足。

1955年、西伯郡大和村・宇田川村・高麗村今津と新設合併、新・淀江町が発足。

2005年、米子市と新設合併、米子市淀江町となりました。

マンホールには「天の真名井(あめのまない)」と「水車」、「名水と石馬の里」の文字があります。

「天の真名井(あめのまない)」の水車小屋

昭和40年9月制定の町章は「淀江町の「江」の字を図案化したものです」

撮影日:2012年4月21日&2016年10月22日

 

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ご当地マンホール in 鳥取県米子市

2017年07月03日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

米子市(よなごし)は鳥取県の西部、山陰のほぼ中央に位置し、南東に中国地方最高峰の大山、北に日本海、西にコハクチョウ渡来南限地でラムサール条約登録の中海を有する、豊かな自然環境に恵まれた街です。島根県安来市と、また境水道大橋で島根県松江市と隣接。市の大半は平坦な地形で、古くから地域の交通結節点・宿泊拠点、人の行き来が盛んな「山陰の商都」として栄えてきました。

また、山陰最大の温泉地である「皆生温泉」は、トライアスロン発祥の地として知られ、弓ヶ浜には日本での発祥地を記念した碑も建てられています。「市の花:ツツジ」「市の鳥:コハクチョウ」を制定。

キャッチフレーズは「生活充実都市・米子」

明治22年(1889)、町村制の施行により、会見郡米子町・成実村・住吉村・車尾村・加茂村・福米村・福生村・五千石村・尚徳村・彦名村・崎津村・和田町・大篠津村・富益村・夜見村・巌村・春日村・ 県村・大高村が発足。

1896年、郡制の施行により、汗入郡・会見郡の区域をもって西伯郡が発足。

1926年、西伯郡成実村の一部を米子町に編入。

1927年、西伯郡米子町が鳥取県下で2番目に市制を施行。米子市が発足。

1935年、西伯郡住吉村を編入。

1936年、西伯郡車尾村を編入。

1938年、西伯郡加茂村・福米村・福生村を編入。

1954年、西伯郡彦名村・崎津村・和田町・大篠津村・成実村・富益村・夜見村・巌村を編入。

1956年、西伯郡春日村を編入。

1957年、西伯郡県村・大高村が合併、西伯郡伯仙町が発足。

1968年、西伯郡伯仙町を編入。

2005年、西伯郡淀江町と新設合併、新・米子市となりました。

マンホールには、市章を中心に、全体に「市の花:ツツジ」が描かれています。(皆生温泉海水浴場のタイル歩道に設置)

(米子市立山陰歴史館付近のタイル歩道に設置)

農業集落排水のマンホールには、「大山」、「弓ヶ浜」、「市の花:ツツジ」。

「弓ヶ浜海水浴場」

日本におけるトライアスロン発祥の地「皆生」で開催された際に設置された、記念マンホール。

2005年12月1日制定の市章は「漢字の「米」を図案化したもので、1900年5月10日から合併前の米子市で用いられていたもので、市民アンケートの結果などを踏まえ、新たな米子市の市章として正式に決定しました。」公式HPより

泥吐弁(全く同じサイズで制水弁・仕切弁もあります)

消火栓

「皆生(かいけ)温泉」街の一帯には、温泉専用の規格蓋が各種敷設されています。

 撮影日:2011年5月20日&2012年4月21日&2017年8月9日

 

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鳥取県米子市のマンホールカード 

2017年07月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

2017年4月3日、第4弾として全国42自治体で50種類(累計151自治体170種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「米子市」のマンホールカードは、「米子市観光センター」でいただけます。

1989年に設置開始されたマンホールには市章を中心に「市の花:ツツジ」がデザインされています。

「中央に米子市の「米」を図案化した市章をあしらい、その周りに市の花「つつじ」を大胆に散りばめた色鮮やかなマンホール蓋です。 つつじは万葉集に詠まれるほど日本人にゆかりが深く、旧米子市と旧淀江町ではそれぞれ市の花・町の花として、庭木だけでなく、公園や川、街道沿いに植えられて親しまれてきました。 そのつながりは両市町が合併しても途絶えることなく、つつじは今も市民の暮らしに寄り添うように咲いています。 毎年、ゴールデンウイークにさしかかる頃は、桜と交代でつつじのシーズンが到来。 恒例の「米子つつじまつり」などが開催され、街は一層華やかな雰囲気に包まれます。」

配布場所展示マンホール

座標軸マンホール

米子駅構内観光案内所で配布された英語バージョン。

訪問日:2017年8月9日&2019年4月15日

 

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ご当地マンホール in 鳥取県境港市

2017年06月24日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

境港市(さかいみなとし)は鳥取県西部、長さ約20kmの大砂州「弓浜半島」の北端に位置する町です。市域の三方が海に開けており、古来より日本海側の重要港湾として栄えてきました。秀峰「大山(だいせん)」を背景に、風光明媚な白砂青松の海岸線を有し「日本の白砂青松100選」や「日本の渚100選」に選定されています。また、著名な漫画家『水木しげる』の出身地でもあり、代表作の『ゲゲゲの鬼太郎』に登場するキャラクターの銅像がならぶ水木しげるロードや、JR境線に「鬼太郎列車」が運転されていることでも知られています。「市の花:菊」「市の木:黒松」を制定。

キャッチフレーズは「さかなと鬼太郎のまち “魅力あるふるさと・心豊かで活力あるまち境港”」

明治22年(1889)、町村制の施行により、会見郡境町、渡村、外江村、上道村、下浜村(翌月余子村と改称)、中浜村が発足。

1896年、 郡の統廃合により、会見郡から西伯郡に変更。

1947年、外江村が町制を施行、西伯郡外江町となる。

1954年、西伯郡境町、渡村、外江町、上道村、余子村、中浜村が新設合併し、西伯郡境港町が発足。

1956年、境港町が市制を施行、境港市が発足。

マンホールには、「一反木綿と一緒に空を飛ぶ鬼太郎と目玉おやじ」が描かれています。

隠岐の島行フェリーのステッカー

ハンドホール:鬼太郎

境港駅前の銅像

ハンドホール:一反木綿

実は子供が大好きな一反木綿

ハンドホール:猫娘

JR境線:鬼太郎列車の猫娘

ハンドホール:ねずみ男

境港駅内:ねずみ男ステッカー

ハンドホール:子泣き爺

ハンドホール:砂かけ婆

子泣き爺・鬼太郎・砂かけ婆

ハンドホール:ぬりかべ

心優しいぬりかべ君

鳥取県のマスコットキャラクター『トリピー』と「夢みなとタワー」がデザインされたマンホール。

昭和31年(1956)4月24日制定の市章は「さかいみなとしの「さ」を港の波頭型に図案化したもので、島根半島と弓浜半島の先端に光る市の発展性を象徴しています。」公式HPより

境港市は、1992年に漁獲水揚げ量日本一を記録した鳥取県内でも有数の漁港。歩道のタイルには、水揚げされる水産物がデザインされています。

撮影日:2011年5月20日&2013年7月24日

 

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ご当地マンホール in 鳥取県若桜町

2017年06月22日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

八頭郡若桜町(わかさちょう)は、鳥取県東南部の最東端に位置し、兵庫県養父市、宍粟市、香美町、新温泉町、岡山県西粟倉村と境を接っする町です。町域には山地が多く、兵庫県との県境にある氷ノ山は、夏は登山客、冬はスキー客が集まる観光スポットとしても知られます。「若桜」の由来は古く、第17代履中天皇(5世紀前半~)の項に「伊波礼(いわれ)若桜宮」に奉仕した「若桜部(わかさくらべ)」に因むというのが、もっとも有力な説と言われています。また県境に聳える「氷ノ山」は、天照大神の一行が東征の際、ふもとの村で一夜を過ごされた翌朝に、木々の梢に朝日が宝石のように輝く様を見て「日枝の山(ひえのやま)」と呟かれたのが「氷ノ山(ひょうのせん)」と呼ばれる由来と伝えられています。「町の木:桜」を制定。

浅井番所を模した、道の駅と若桜駅の間にある「若桜駅番所」

キャッチフレーズは「豊かな自然と歴史・文化のなかで人を育て活力と魅力あふれまち」「~緑と清流のまち~ 人と自然が織りなす素晴らしき故郷」

明治22年(1889)、町村制の施行により八東郡赤松村・若桜村・菅野村・池田村が発足。

1896年、郡制の施行のため八上郡・八東郡・智頭郡の区域をもって八頭郡が発足。

1909年、八頭郡赤松村・若桜村・菅野村が合併、若桜町が発足。

1954年、八頭郡池田村と合併、改めて若桜町が発足。

マンホールには「町の木:桜」と「氷ノ山」「雪の結晶」「若桜の鯉」が描かれています。

義姉から小サイズマンホールの画像が届きました。

昭和33年(1958)10月1日制定の町章は「若桜町の頭文字WAを組み合わせ、鳥取県の若桜町を象徴し、組み合った2つの型が交差して2力町村の合併と住民の和を強調します。感覚的には、山を大地に安定させて林業の町を表し、上向きに広がつた鳩の翼を平和な理想の町として、陰陽を結ぶ戸倉トンネルに文化と産業の交流を図りながら、飛躍的に発展する若桜町を象徴します。」公式HPより

舗道タイル「若桜の鯉」。野口雨情作詞の若桜小唄に「泥にゃ棲まない若桜の鯉」と唄われ、昭和初期には各家々でも小川の清流で鯉を飼っていたそうです。

舗道タイル「町の木:桜」。明治百年を記念して昭和43年に制定。

「若桜鬼ヶ城跡」にちなんだ「因州若桜鬼っこまつり」マスコットキャラクター『桜子ちゃん』。明るい性格で、子どもたちとすぐに友達になれます。でも冬はやっぱり寒いらしい。噂では『若鬼(わかき)くん』という彼氏がいるそうです。

訪問日:2012年4月15日

 

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ご当地マンホール in 鳥取県旧船岡町・旧八東町(八頭町)

2017年06月17日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

旧八頭郡船岡町(ふなおかちょう)は鳥取県の東部に位置した町です。町域には1000本余りの桜が咲き誇る町内随所の桜の見どころ「天満山」があり、古くから桜の名所として多くの人に親しまれてきました。「町の木:山茶花」「町の花:桜」を制定。

若桜鉄道若桜線「因幡船岡駅」「隼駅」を擁し、特に隼駅はその駅名から隼オーナーライダーの聖地として知られています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、八上郡船岡村・隼村・大伊村・が発足。

1896年、郡制の施行のため八上郡・八東郡・智頭郡の区域をもって八頭郡が発足。

1952年、船岡村が町制施行、八頭郡船岡町となる。

1952年、八頭郡隼村・大伊村と合併、改めて船岡町が発足。

2005年、八頭郡郡家町・八東町と合併、八頭町船岡となりました。

マンホールには、国内外の珍しい竹と笹が生い茂る国内有数の本格的な竹林公園「船岡竹林公園」の竹と筍が描かれています。

舗道のタイル画「竹とタケノコ」

*

昭和37年(1962)11月制定の町章は「「フナ」を円形と斜線にして図案化したものです。」

船岡竹林まつりでタケノコ掘りを楽しむ「やずぴょん」

隼駅の近くで見つけた、「家紋」を取り囲む「薔薇」の鏝絵。

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旧八頭郡八東町(はっとうちょう)は鳥取県東部に位置した町です。若桜鉄道若桜線:安部駅 - 八東駅 - 徳丸駅 - 丹比駅を擁し、町域の用呂地区には鳥取県最古の民家「矢部家住宅」があり、国指定重要文化財の指定を受けています。

八頭町徳丸地区にある道の駅「はっとう」。おいしいフルーツの産地として名高い八東ならではの、みずみずしい旬のフルーツが取り揃えられています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、八上郡八頭村・丹比村が発足。

1896年、郡制の施行のため八上郡・八東郡・智頭郡の区域をもって八頭郡が発足。

1959年、八頭郡八頭村・丹比村が合併して八頭郡八東町が発足。

2005年、八頭郡郡家町・船岡町と合併、八頭町八東町となりました。

マンホールには旧妻鹿野地区の「八東ふる里の森」と、特産のフルーツが描かれています。

舗道のタイル画「八東ふる里の森」

昭和39年(1964)7月制定の町章は「「八」を末広がりに図案化したもの。」

清らかな水と美しい山々に囲まれた「フルーツの里」八東を象徴するタイル画。

「若桜線・八東駅」の近くで見つけた「寿と龍」の鏝絵。

撮影日:2012年4月15日

 

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ご当地マンホール in 鳥取県八頭町・旧郡家町

2017年06月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

八頭郡八頭町(やずちょう)は鳥取県の東部に位置する町です。2005年3月31日、八頭郡郡家町・船岡町・八東町が合併して発足しました。合併により鳥取市、八頭郡若桜町、智頭町に隣接。町の中心駅「郡家駅」前には「神ウサギ」の像が人々を出迎えています。画像はJR西日本と若桜鉄道の起点駅「郡家駅」ですが、2015年3月23日に新しく「ぷらっとぴあ・やず」となりもう見る事は出来ません。「町の花:さつき」「町の木:柿」を制定。

キャッチフレーズは「人が輝き・集い・夢広がるまち やず」 「白兎伝説の里 八頭町」

「白兎伝説の里」八頭町福には天照大神が行幸の際「稲羽の素兎(しろうさぎ)」が現れ、行宮にふさわしい場所として霊石山の伊勢ヶ平(いせがなる)まで案内したという伝承が青龍寺、慈住寺に残されており、因幡地区では二社目となる「白兎神社」も鎮座されています。

何故か、大国主と八上姫に手を繋がれて「招き猫」風味満載の白兎・・・(^^;)  違う!!絶対に違う!!これじゃない!(笑)

2005年3月31日制定の町章は「八頭町の「や」の文字で、人々が集い自然と調和して暮らす町をデザイン化。羽ばたく鳥の姿で自然との一体感や大空に夢が広がる町の明るいイメージを表し、八頭町の飛躍を象徴したものである。」公式HPより

白兎伝説のシロウサギをイメージした八頭町マスコットキャラクター『やずぴょん』。大型二輪車「隼」ライダーの聖地 若桜鉄道「隼駅」に全国から訪れるライダーをイメージしてライダーズスーツを着ています。緑と茶色は八頭町の豊かな自然。胸と背中には八頭町のロゴマークをつけ、郷土愛を心に使命を背中に刻んでいます。ヘルメットは特産品「花御所柿」。耳は、YAZUの頭文字「Y(ワイ)」と体いっぱいに八頭町をPR。

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旧八頭郡郡家町(こおげちょう)は鳥取県の東部に位置した町です。旧町役場は、現在八頭町役場として使用。町の中心駅は「若桜鉄道若桜線:郡家駅」。郡家町の在来品種で200年以上前から生産されている「花御所柿」の産地として知られています。「町の木:金木犀」「町の花:サツキ」を制定。

旧キャッチフレーズは「花御所柿の里 こおげ」

1889年(明治22年)、町村制の施行により、八上郡賀茂村・国中村・大御門村・下私都村・上私都村・中私都村が発足。

1896年、郡制の施行のため八上郡・八東郡・智頭郡の区域をもって八頭郡が発足。

1951年、賀茂村が町制施行・改称して八頭郡郡家町となる。

1953年、八頭郡国中村・大御門村・下私都村と合併し、改めて郡家町が発足。

1957年、八頭郡上私都村・中私都村と合併、改めて郡家町が発足。

2005年、船岡町・八東町と合併、八頭町郡家となりました。

マンホールには、町の特産であった「花御所柿」と「花御所柿の里」のキャッチフレーズが描かれています。(若桜線・郡家駅近くに設置)

天明年間、郡家町花の農民『野田五郎助』が奈良県から「御所柿」の枝を持ち帰り、渋柿に接木したのが始まりです。花地区で栽培される「御所柿」という事から「花御所柿」と命名されました。

霊石山から南東に延びる丘陵上に立地する、国史跡「土師百井(はじももい)廃寺跡」がデザインされたマンホール。土師百井寺は七世紀中頃から八世紀初めの白鳳時代に建てられたもので、奈良の法起寺式伽藍配置をもつ寺院と考えられています。

昭和36年4月1日制定の町章は「頭文字の「こ」を図案化したものです。」

撮影日:2012年4月15日

 

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ご当地マンホール in 鳥取県旧中山町・旧名和町(大山町)

2017年06月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

旧西伯郡中山町(なかやまちょう)は鳥取県西部、日本海に面した町です。町域には国天然記念物に指定された「ハマナス自生南限地帯」、伯耆の白兎発祥の地「中山神社(サギの宮)」等が知られています。「町の木:山茶花」「町の花:ハマナス」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により八橋(やばせ)郡下中山村・上中山村が発足。汗入(あせり)郡逢坂村が発足

明治29年(1896)、郡制の施行により、河村郡・久米郡・八橋郡の区域をもって東伯郡が発足。汗入郡・会見郡の区域をもって西伯郡が発足。

1955年4月、東伯郡下中山村・上中山村が合併、東伯郡中山村が発足。

1957年、東伯郡中山村と西伯郡逢坂村が合併、西伯郡中山町が発足。

2005年、東伯郡大山町・名和町と合併、新・大山町となりました。

マンホールには「まちを美しく」の文字と、「町の木:山茶花」「町の花:ハマナス」が描かれています。

町章は、中山村の村章を引き継いだもので、平和・親愛・向上・発展を象徴しています。

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旧西伯郡名和町(なわちょう)は鳥取県の西部、日本海に面した町です。旧町域にある「御来屋駅舎」は明治35年(1902)の開業時以来のものであり、現役で使用されている駅舎としては「山陰最古の駅」として知られています。「町の木:松」「町の花:桜」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により汗入(あせり)郡庄内村・名和村・御来屋町・光徳村が発足

明治29年(1896)、郡制の施行により、汗入郡・会見郡の区域をもって西伯郡が発足。

1954年、西伯郡庄内村・名和村・御来屋町・光徳村が合併、西伯郡名和町が発足。

2005年、名和町中山町・大山町と合併、新・大山町となりました。

マンホールには、町章を中心に「町の花:サクラ」が大きく描かれています。

昭和31年(1956)7月31日町章は「『名和長年公』の紋所・帆掛け舟を模して、「名和」を図案化したもの。」

撮影日:2012年4月21日&2016年10月22日

 

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ご当地マンホール in 鳥取県大山町&旧大山町

2017年06月07日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

西伯郡大山町(だいせんちょう)は鳥取県の西部に位置し、中国地方最高峰である「大山」の名を冠する町です。南北20kmの間に、日本海(海抜0m)から中国地方最高峰「大山」の頂(標高1729m)を含み、海と山の恵みたっぷりの自然豊かな町です。主な産業は農業・畜産・漁業・観光で、特にブロッコリーの販売高は10億円を超え、西日本一を誇っています。観光のメインである「大山」は、古来より「大いなる神の在ます山」「大神岳(おおかみのたけ)」と呼び称されてきました。

現在の大山町は2005年3月28日に名和町・中山町と合併し、改めて発足した三代目の町名。「冠雪の大山・大神山神社奥宮」が、ラッピングされた大山町公用車。

「町の木:ダイセンキャラボク」「町の花:ハマナス」を制定。

キャッチフレーズは「大山の恵みを受け継ぎ、元気な未来を拓くまちづくり」 「 ~人と人、人と自然が心でつながるまち~」

2005年9月21日制定の町章は「頭文字の「D」をアレンジしたもので、緑は大山の恵みを、青は綺麗な水、水色は澄んだ空気を表し、豊かな環境資源の中で躍動する姿を描いています。」公式HPより

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旧西伯郡大山町は鳥取県の西部に位置し、中国地方最高峰である大山の名を冠した町です。

国の重要文化財「門脇家住宅」がある大山町所子(ところご)集落と周辺の農地計25.8ヘクタールは、国の重要伝統的建造物群保存地区(種別:農村集落)として選定されています。

明治22年(1889)、町村制の施行により八橋(やばせ)郡下中山村・上中山村が発足。汗入(あせり)郡高麗村・所子村・逢坂村・大山村が発足

明治29年(1896)、郡制の施行により、河村郡・久米郡・八橋郡の区域をもって東伯郡が発足。汗入郡・会見郡の区域をもって西伯郡が発足。

1955年9月、所子村および高麗村の一部が合併して西伯郡大山町(初代)が発足。

1955年11月、西伯郡大山町・大山村が合併して西伯郡大山町(二代)が発足。

2005年、西伯郡名和町・中山町と合併、改めて現:大山町が発足しました。

マンホールには「大山」、町の木「ダイセンキャラボク」町の花「ハマナス」が描かれています。

 

昭和40年8月制定の町章は「全体で「国立公園大山」を表し、1円融合・生々発展を象徴します。」合併協議会資料より

撮影日:2012年4月21日&2016年10月22日

 

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ご当地マンホール in 鳥取県旧赤碕町(琴浦町)

2017年05月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

旧東伯郡赤碕町(あかさきちょう)は鳥取県中央部に位置した町です。町域は日本海側に面しており、享保・寛政年間(1716~1789)に築港された菊港などが有名です。また「船上山」には、南北朝時代の初めに隠岐を脱出した後醍醐天皇の為に「行宮」が築かれた事から鎌倉幕府方との間で激しい戦いが繰り広げられました。山頂付近の蒲ヶ原には行宮碑があり、昭和7年(1932)に国の史跡に指定されました。「町の木:船上山五葉」「町の花:ナシ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により八橋郡赤崎村、以西村、安田村、勝田村・保永村が発足。

1896、郡制の施行により、河村郡・久米郡・八橋郡の区域をもって東伯郡が発足。

1898年、勝田村・保永村が合併して成美村が発足。

1900年、赤崎村が町制施行して東伯郡赤碕町となりました。

1954年、東伯郡成美村・安田村・以西村と合併し、改めて赤碕町が発足。

2004年、東伯郡東伯町と合併、琴浦町赤碕となりました。

マンホールには、菊港にある石像「波しぐれ三度笠」と「船上山と桜」、「町の花:梨」、「町の魚:アゴ(飛び魚)」、「赤碕灯台」が蓋一面にぎっちりと描かれています。(JR西日本・山陰本線赤碕駅前の道路に設置)

赤碕菊港の突堤にある「波しぐれ三度笠」

昭和29年(1954)1月1日制定の町章は「「赤」を三本の線で飛鳥の鳥の形に図案化し、日本海の波で纏め、それを表したもの、中央部の三角形は船上山を表したもの。」まいネット赤碕より

穏やかな「菊港」

撮影日:2012年4月日&2016年10月日

 

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