琴浦町赤碕、港を中心として栄えた町並みを背後に控えて穏やかに広がる「菊港」。東西二つの堤を持った港は、かって年貢米を移出するための藩倉が建ち並び、船番所が置かれ、また北前船の寄港地として栄えてきました。
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私たちが歩いたのは捨石積構造(基礎に巨石を沈め、上に石を積み上げて築堤)が往時のままに残された東堤。長さ150m、幅13.8m、高さ2.3m。
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「明暦三年(1657)の江戸大火の折、鳥取藩の藩邸が焼失してしまった為、鳥取藩では赤崎村の大庄屋役の河本長兵衛に材木の調達を命じた。そこで、長兵衛は泉州の堺から大きな船を買い入れ、この港から材木を江戸に運んだ。菊港が現在のような港に修築されたのはこの時のことである。河本長兵衛の妻は松江城主堀尾吉晴の孫娘で、菊姫と言い、長兵衛との間に出来た弥四郎は堀尾姓を名乗り、長兵衛の後を継いで海運業を営んだので、この港を次第に「菊姫の港」(菊港)と言い慣わすようになった。」菊港の由来より
鳥取藩十湊(じゅうみなと)の1つとして、北前船の寄港地でもあった菊港。堤に建立された「慰霊碑」は何時の頃に建てられたのだろう・・
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菊港東堤遊歩道の先に佇むのは、マンホールのデザインにも使われた三体の「波しぐれ三度笠」。
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説明文写し「彫刻家:流政之先生が、ここ菊港にまつわる歴史に深い関心をよせられ、三体の旅姿の像を製作されました。 板子一枚下は地獄の、日本海の荒波を乗り越えて往き来した、たくましい海の男たち、それを送り迎えした港の人々。そんな人々の生きざまや、哀歓を刻り上げられたのがこの彫刻「波しぐれ三度笠です。三度笠は旅を表わし、旅は人生そのものを表しています。北東に向かって立つ彫刻は、見る人それぞれに深い想いをいだかせ、晴れた日、曇の日、嵐の日、又、四季をそれぞれに表情を変えて我々に生きる希望と勇気を与えてくれます。 これは日動画廊の長谷川徳七社長が、御母堂林子氏の生地発展の為にと寄せられた寄附金を基に、町と県の協力によって実現したものです。 一九八九年十月建立」
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現存する数少ない江戸期の石造防波堤として土木遺産に指定された捨石積構造の東西堤。東堤の先端に見えるのは小さな石積灯台。瀬戸内海の海辺に育った私にとってこんな風に広がる海は、やはりどこか他所の世界に見えてしまう。
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菊港から1k少々、次に訪ねたのは西日本最大の海岸墓地「花見潟墓地」。かって新婚旅行でここを訪れた『小泉八雲』が「霊気を感じた」と記していますが・・道路の上から見下ろす一群はどこか異次元を思わせ、つかの間の非日常を垣間見せてくれます。
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「この墓地は、東西約三四九米、南北約一九~七九米、面積約二万平方米の広さで日本の自然発生墓地としてこの大きさはきわめて稀である。発生起源は不明だが、石造物などから中世後半以降の成立と推定されており、二万余基の墓が建てられている。特に赤碕塔はその形状の地域性から国東塔(大分県)と並び、石像美術史上貴重なものである。」現地案内より
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赤碕搭・・・興味が無いと言えば嘘になりますが、手すりから離れて眼下に広がる地に足を踏み入れる根性が無い・・・(^^;)
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早々に切り上げて更に西へ1キロ弱、続いて訊ねたのは「鳴り石の浜」。不思議な音に誘われて海辺でおどけて見せる御亭主殿。調子に乗ってると危ないですよ!!
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琴浦海岸の西に位置する花見海岸は「ごろた石」といわれる楕円形の石が集積した自然海岸。海が荒れる日は打ち寄せる波によって、石同士がぶつかり合う独特の響きが聞こえると言います。
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波打ち際に並べられた「河原の石積」。何故だろう?平たい石を見ると、どうして積み重ねたくなるのだろう・・。私には少し不思議な光景。
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もともとは、誰も近寄らないような草とヤブに覆われた海岸を、今の様な観光スポットに変えたのは、琴浦町を盛り立てようと集まった地元の方たちだそうです。紺碧の海と対照をなし、何処までも続く白い海岸線。それはまるで常世を思わせる清浄さ。
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ラストは琴浦海岸を離れて県道278号線沿い、琴浦町箆津(のつ)の一画に門を構えるのは、冒頭「菊港」ゆかりの、赤崎村大庄屋の「河本家住宅」。
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「貞享5年(1688)伯耆国八橋郡の大庄屋であった五代目『河本弥三右衛門』によって建築。屋根は茅葺で箱棟が乗っており、小屋組みは合掌作り。部屋は、変形六間取りで、炊事場には竈の上を土壁で覆った煙返しが施され、防火機能を持った珍しい作りとなっています。2010年12月24日、建造物五棟などが国の重要文化財に指定されました」琴浦町観光協会より
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訪問日:2012年4月21日
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2012年の鳥取訪問では「道の駅:ポート赤碕」にて車中泊をさせて頂きました。お試しで買った日本海で獲れたイカの干物がとっても美味しく、つい大人買い(笑)。以来地元のお店で買ったイカの干物が食べられなくなりました(-"-)
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車で旅をするものにとってこのような道の駅は、本当にありがたく大切な場所です。 改めて、その折は有難うございました m(__)m
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