車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

光(みつ)の鏝絵~Ⅱ~ in 鳥取県琴浦町

2017年06月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

昨日に続いての「光の鏝絵」、今日は「蔵飾り」を中心に。蔵の前面全体に「なまこ壁」を施し、中央の窓部分には「鶴と亀」。一般的によく使われる吉祥文様の「鶴は千年、亀は万年」から、また水は火難よけも意味します。

こちも蔵の前面全体に「なまこ壁」を施しており、中央の観音開扉窓の内側には「波に亀」。上部には「松に鶴」。松は一年を通して青々と繁る事から「不老長寿」を意味します。

左右に「瓢箪七宝」のなまこ壁を施し、窓扉の内側には、海中に潜ろうとする「波に亀」。観音開扉窓の上部には、上で紹介した蔵と同じ図柄の「松に鶴」

かたちから見てこれは「鯉の滝登り」、見事「龍門の滝」を登って龍となれますように。こちらの扉窓の上部も「松に鶴」の図柄。

「松」には「鶴」が付き物なのかと言うと、決してそうではなく「松」だけの図柄もあります。幹の太さが何百年も生きてきた事を感じさせて、まさに永遠の命を象徴する図柄。大きく目を引く扉窓の飾りは有りませんが、それだけに全体のなまこ壁が際立って見えます。

これまでとはがらりと変わって、窓扉の内側に大きな「蕪(かぶら)」。「蕪」は、勢い良く繁る葉とたくましく根付く根から「家運繁栄」・「子孫繁栄」の吉祥柄とされ、丸々とした姿は「家庭円満」・「無病息災」・「子宝」を表し、縁起の良い福柄と言われています。

妻下部分に描かれた「宝袋」は、家紋を入れ込んだ亀甲柄で非常に手が込んだもの。

二階部分前面になまこ壁が施された蔵は、石州瓦の鮮やかな朱色と共に一段と鮮やか。左右には色漆喰で「宝袋」「打ち出の小槌」が描かれており、共に富と財を願う柄。

倉扉窓の上部に「菊唐草に宝袋」、倉扉には木目も鮮やかな「打ち出の小槌」。どちらも富と財運を呼び込む願いが込められています。

  

金泥が使われた鏝絵は、蔵の入り口観音開戸の上部あった「菊唐草に打ち出の小槌」

気が付けば、いつの間にか同じ場所に戻ってしまった二人。鏝絵探訪もそろそろ終り。場所的に上ばかり向いていたのですっかり首が凝ってしまいましたが素晴らしい経験でした。またいつかこの場所を訪ねる時は、もう少し明るい時間に、もう少し良いデジカメを持って(笑)

訪問日:2012年4月20日

 

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光(みつ)の鏝絵~Ⅰ~ in 鳥取県琴浦町

2017年06月05日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

琴浦町光地区・48戸の集落の半数、24戸に「鏝絵」があると知ったのは鳥取県を訪問地と決めた時。これはもう行くしかない!と力説するご亭主殿。そんなに力こぶいれなくても、私だって鏝絵は大好きですからちゃんとご一緒しますよ(笑)。集落入り口には広い駐車場があり、鏝絵を見る為に路駐をしなくて良いのが何よりも有り難い・・という事で、琴浦町ラストの紹介は「光(みつ)の鏝絵」

「江戸末期から昭和初期に庶民の建築文化として全国的に流行していた「鏝絵(こてえ)」。左官職人が、漆喰壁に、鏝で福助や動物、植物などの浮き彫り模様を塗り、絵画的、装飾的に家の蔵などに付けられ、「蔵飾り」とも呼ばれています。昭和初期ごろまでは、家紋や文字が付けられるぐらいがよい方で、戦後昭和30年頃からは、縁起を祝う意味で、「鶴・亀・鯉・松竹梅・巾着・打出の小槌・瑞雲・立浪」などが付けられるようになりました。光の鏝絵は、琴浦町光集落の吉田貞一氏と吉田勝重氏、また吉田貞一氏から指導を受けられた琴浦町中村集落の野口原貞雄氏が丹精を込めて仕上げられた作品です。」琴浦町観光協会より

「鯉の滝登り」。「龍門の滝」を登る事に成功した鯉だけが、龍に変身できる・・・古来の中国の言い伝えから出世のシンボル的存在として、蔵飾りによく用いられます。

集落を歩けば左官職人が作り上げた芸術品が次々と現れ、つい側に近寄ってみたくなります。が、そこは人様が普通に生活をしている場所、決して無遠慮に立ち入ったりしてはいけません。だからなるべく遠目からズームを駆使して(〃∇〃)

妻入り部分に良く見られる「波に亀」。亀は長寿を表し、波は水で火難防止を意味します。

上と同く「波に亀」ですが、金泥の亀が波間から上がろうとする瞬間を表しています。何気なく見過ごしてしまいそうな場所にも「宝袋」の鏝絵。

「鏝絵」と言うと、どうしても絵画的な部分に目が行きがちですが、決してそうではありません。壁に施された「瓢箪七宝」のなまこ壁などは、まさに左官職人の技が生み出す芸術。

妻部分の鏝絵では「蔵飾り」で紹介した「波に鯉」も、多くの家で使われています。同じ様な題材ですが、微妙なデザインの違いや色漆喰を使っているなど・・本当に見飽きません。

古来より吉祥文様とされた「唐草文」、それに家紋と菊花をあしらったデザイン。

「梅」は、寒中に耐えて香り良い花を開く、古来の日本で花と言えば梅を指します。

こちらのお宅の鏝絵は、従来の枠の中に当てはまらないとても個性的で洋風のデザイン。群青と黒の漆喰で、宝袋のようにも見える末広がりに、金泥で要の部分を飾っています。

今にも壁から離れて飛び立ちそうに見える「鶴」。左官の技は、絵の範疇を遥かに超えています。古来より長寿を象徴する鳥として知られる「鶴」、瑞雲と共に吉祥の象徴とされています。下の三つの鏝絵は、題材としては全く同じですが、それぞれ別の蔵の妻下にあったものです。

まだまだ終わらない「光の鏝絵めぐり」、恒例の続きは明日(*´꒳`*ノノ゙

 撮影日:2012年4月20日

 

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天乃神奈斐(あめのかんなび)神社 in 鳥取県琴浦町赤碕

2017年06月04日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

琴浦町赤碕に鎮座される「天乃神奈斐(あめのかんなび)神社」。御祭神は『大己貴命・少彦名命』他12柱。

由緒「創立年代は不詳、「日本三大実録」に「元慶七年(883)従五位下」に昇叙の記載があり、江戸時代は「津上大明神」といい、鳥取藩から郡の大神としての祈願所とされていた。旧郷社。明治元年、天乃神奈斐神社と改称。大正元年に赤碕地内の十四社(福留神社・三方神社・平瀬神社・綿津見神社・長山神社・武内神社・松谷神社・三穂神社・亀崎神社・恵美須神社・火鎮神社・竜宮神社・大林神社・西谷神社)を合祀。

二の鳥居石段下より神域を守護されるのは、明治18年(1885)9月建立の出雲構え狛犬さん一対。阿形さんには既に風化の兆しが・・・

石段先に神門、奥に拝殿が見えてきました。

石段横、コンクリート塀の上より神域を守護されるのは、どちらかというと神殿狛犬に近い顔立ちの狛犬さん一対。

太い眉、二段に流れるたてがみ・・かなり珍しい風貌の狛犬さんです。

参道正面に二基の石灯籠と拝殿

拝殿目貫彫刻は琵琶を奏でる「吉祥天」

拝殿前左右より神域を守護されるのは、明治23年(1890)9月吉日建立の出雲構え狛犬さん一対。海が近いとどうしても海風にさらされ、風化も早く進みます。こればかりは・・致し方ないのでしょう

拝殿の縁に置かれていた恵比須・大国天像

参拝日:2012年4月22日

 

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神埼神社の社殿彫刻~拝殿~ in 鳥取県琴浦町

2017年06月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

昨日に続いて「神埼神社の社殿彫刻」。本殿の彫刻に目ウルウルの二人ですが、拝殿彫刻もため息と感嘆の連続。

拝殿の扉には、左に「神功皇后の子(後の応神天皇)を抱く武内宿禰」、右に「神功皇后」。「三韓征伐(さんかんせいばつ)」を終え、筑紫の宇美で『応神天皇』を出産された時の様子です。

武家の守り神とされる『八幡神』の母神である『神功皇后』は、世代を超えて数多くの武人から崇拝されてきました。神社などに奉納される絵馬に、この情景を描いたものが多いのも頷けるものがあります。

拝殿扉の中央部分には「獅子」「牡丹」

拝殿のどの場所だったか記憶が辿れないのですが・・細い隙間に彫刻された疾走する「獏」「竹林に潜む虎」

「竜宮城」の彫刻は一枚に納めてしまうと、私の画像では何がどれなのか見分けられない程、手が込んで精緻です。で、三つに分けてまずは「竜宮城」。

龍の背に乗り海原を行く乙姫様。

最後はちょっと気になる「亀の背に乗る浦島太郎」。何が気になるって・・浦嶋さんが小脇に大きな魚を抱えている事・・・。まさかお土産に鯛なんて言ったら、竜宮城のご家来衆が大パニックになりますよ(笑)

向拝木鼻の「唐獅子と牡丹」、牡丹を口に咥えて振り向く姿は、圧倒的な迫力と美しさ。

「百獣の王」と呼ばれる獅子、「百花の王」牡丹。「唐獅子牡丹」はまさに無敵の組み合わせ。

本来ならが阿吽んは口を開けた阿形、口を閉じた吽形で表現されるのですが、どちらも牡丹を咥えた状態。という事で満開の牡丹。蕾の牡丹で阿吽が表現されています。

神埼神社の社殿彫刻、ラストはこれを見ずして「神埼神社」は語れないと言うほど有名な拝殿向拝の天井。

天井一面に躍動する「龍」・・・すごいを通り越して鳥肌が立ちそうな迫力に思わず開いた口を閉じるのも忘れて魅入る二人。豪快な刀法で彫られた龍は、まるで命あるもののように、見上げる者を見返してきます。

龍はこのように寝転んで写しました・・で、実はこの敷物、宮司さんがわざわざ用意して下さったもの。おそらく何方にもこのように心遣いをされておられるのでしょう。

撮影の後には、社殿彫刻にまつわる様々なお話も聞かせて頂き、とても興味深く楽しい時間を過ごさせて頂きました。一期一会の出会いと、温かいご厚意に心から感謝申し上げます。

参拝日:2012年4月21日

 

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神埼神社の社殿彫刻~本殿~ in 鳥取県琴浦町

2017年06月02日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

鳥取藩お抱えの宮大工『小倉園三郎』によって、嘉永6年(1853)に建立された「神崎神社・本殿」。方二間「権現造り」、通称「八ッ棟造り」とも言われます。

総欅造り、正面入母屋の屋根は長く伸び、軒は唐破風の向拝。下から見上げれば、そこに展開される精緻な彫刻の凄さに圧倒され、デジカメの存在を忘れてひたすら見上げる二人。

唐破風懸魚は菊花

向拝から、薄く口を開き睨みを利かせる「龍」、その上に「蛇の目紋」と、「葡萄にリス」の彫刻。こういう細かい部分を写すには、やっぱり高性能のカメラが必須なのでしょうが、無い袖は (ノ_-。)

向拝木鼻の「獅子」と唐破風狭間の「龍」、ただもう「すごいねぇ~」しか言葉が出てきません。もちろん周囲の彫刻も面白いのですが、やはり神社彫刻の花形には圧倒されます。おかげで、鼠やら大根やら・・色々興味深い彫刻を写すのを、すっかり!忘れてしまってた・・・・

反対側・狭間の向かって左上の彫刻、最初は達磨大師かと思ったのですが剣を持っているから違うな・・龍の鋭い眼光に身じろぎもせず睨みあうこの緊迫感。

そうか!!もしかして・・・須佐之男命の大蛇退治!!

唐破風の下に仲良く並ぶのは「鳳凰・龍・象」、三者三様いずれも表情豊か。

屋根下では、天上の花々に囲まれて大きく羽を広げる一対の「鳳凰」

神社建築に登場する大御所が「龍」なら、「獅子」は花形的存在でしょうか(^▽^)/ それぞれが思い思いの姿勢で遊び戯れ、追いかけ、見返りながら疾駆しています。    見返る獅子

戯れる親子獅子

じゃれあう仔獅子たち

母獅子の背にしがみ付く仔獅子

「波」は水を表す火除け、「兎」は子孫繁栄や豊穣を象徴するとして様々な場所に使われる「波兎」。後から来る兎を見返るもの、遅れまいと必死に駆ける兎。

兎と亀の逸話はイソップ寓話ですが(笑)、こちらの「海亀」さんは、後からくる連れを気遣いながら波間を振り返り・・

その姿に満面の笑みを浮かべて追いすがる・・もしかしたら子供の海亀さんかも(〃∇〃)

「這い松」の間で遊ぶ「馬」は親子?、それとも夫婦?。意外と楽しそう(笑)

大きな木の下でくつろぐ「牛」さん。木には、大きく実ったかぼちゃのツルが巻きついて・・・これらは多分十二支の彫刻だと思うのですが、画像にきちんと残っているのはこの二枚だけ。

欄間彫刻は「鶴に松」、その上には「扇面と檜扇(ひおうぎ)」

ちょっと変わった所では「鶴仙人」。もしかして反対側には別の仙人もいたかも・・

「脇障子」の彫刻は、大きな鯛を抱えた『恵比須神』と、木々の間で飛び立つ時を待つ「鷹」

逆光で鮮明さにかけてしまいましたが、反対側には『大国様』『出雲阿国』。片足を挙げて踊っている女性の足元で、観衆が扇を広げて喝采を送っているのが見えます。

本当はもっと沢山、面白い・珍しい彫刻があったのですが、満足に画像に残せたのはこれ位・・・消化不良ですが本殿の彫刻はこれで終了。明日は拝殿彫刻の紹介です。

参拝日:2012年4月21日

 

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神崎(かんざ)神社 in 鳥取県琴浦町赤碕

2017年06月01日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

琴浦町赤碕に鎮座される「神崎(かんざ)神社」。御祭神は『素戔鳴命』

「神崎神社の創建由緒は不詳であるが、一説には室町時代末期の創建とも言われている。江戸時代には三宝大荒神と呼ばれ、明治初年に神崎神社と改称した。素戔嗚尊を祭神とし、古来より牛馬の守護神として、また地元の海運水産の神として信仰を集めてきた。現在の本殿は、鳥取藩御抱大工であったとされる鳥取の小倉園三郎、地元の伊藤政四郎と伊藤作右衛門を中心に嘉永六年(1853)に建てられた。」県指定保護文化財より抜粋

境内正面に、小倉園三郎の孫:平次郎が中心となり明治十二年(1879)に完成させた拝殿。案内には2004年に部分的に改修がなされた旨がありました。

境内入り口より神域を守護されるのは、吽形さんだけとなった出雲構え狛犬さん。構えた前足に流れ落ちるたてがみの優美さ・・相方のいない事が惜しまれます。

拝殿前より神域を守護されるのは、同じく丹後出雲構えの狛犬さん一対。先のものより若干建立年が新しいようですが、刻未確認の為、不明。

ご亭主殿の写し方が統一されていない所為で、こんな面白い構図に・・「吽)なぁ、お前・・何でそんなに上から目線で物を言うんだ?」「阿)そりゃぁお前、阿吽つう位で順番も先だしよ。一応俺様が先輩だからにきまってるからよ。」「吽)・・・・・・・・」 妄想です(笑)

牛馬の守護神として信仰が厚いという事で、珍しい形の手水鉢にも牛馬図の線刻。

拝殿近くの石柱の上の神牛さん。たっぷりと乳を含んだ乳房は良い乳牛の証。傍らに添えられた小さな神牛さんが何とも可愛い。

左側に「境内社:菅原神社」。右手に主の鳥居は「境内社:稲荷神社」

「菅原神社」近くには既にお顔の判別が出来なくなったものも含めて三対の神牛さんが奉納されています。時折桜吹雪が舞い散る中で参拝者を迎える神獣さんたち。いずれも優しいお顔をしています。

「境内社:恵比須神社」

心願成就:絵馬は、御祭神『素戔嗚尊』の大蛇退治。

境外の参道途中で見かけた石仏。神崎神社に縁があるものなのか、それともたまたまそこに祀られていたのか・・仔細は不明。

参拝日:2012年4月21日

明日は拝殿、本殿に施された素晴らしい社殿彫刻の数々を紹介します。

 

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菊港~鳴り石の浜~河本家住宅 in 鳥取県琴浦町

2017年05月31日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

琴浦町赤碕、港を中心として栄えた町並みを背後に控えて穏やかに広がる「菊港」。東西二つの堤を持った港は、かって年貢米を移出するための藩倉が建ち並び、船番所が置かれ、また北前船の寄港地として栄えてきました。

私たちが歩いたのは捨石積構造(基礎に巨石を沈め、上に石を積み上げて築堤)が往時のままに残された東堤。長さ150m、幅13.8m、高さ2.3m。

「明暦三年(1657)の江戸大火の折、鳥取藩の藩邸が焼失してしまった為、鳥取藩では赤崎村の大庄屋役の河本長兵衛に材木の調達を命じた。そこで、長兵衛は泉州の堺から大きな船を買い入れ、この港から材木を江戸に運んだ。菊港が現在のような港に修築されたのはこの時のことである。河本長兵衛の妻は松江城主堀尾吉晴の孫娘で、菊姫と言い、長兵衛との間に出来た弥四郎は堀尾姓を名乗り、長兵衛の後を継いで海運業を営んだので、この港を次第に「菊姫の港」(菊港)と言い慣わすようになった。」菊港の由来より

鳥取藩十湊(じゅうみなと)の1つとして、北前船の寄港地でもあった菊港。堤に建立された「慰霊碑」は何時の頃に建てられたのだろう・・

菊港東堤遊歩道の先に佇むのは、マンホールのデザインにも使われた三体の「波しぐれ三度笠」

説明文写し「彫刻家:流政之先生が、ここ菊港にまつわる歴史に深い関心をよせられ、三体の旅姿の像を製作されました。 板子一枚下は地獄の、日本海の荒波を乗り越えて往き来した、たくましい海の男たち、それを送り迎えした港の人々。そんな人々の生きざまや、哀歓を刻り上げられたのがこの彫刻「波しぐれ三度笠です。三度笠は旅を表わし、旅は人生そのものを表しています。北東に向かって立つ彫刻は、見る人それぞれに深い想いをいだかせ、晴れた日、曇の日、嵐の日、又、四季をそれぞれに表情を変えて我々に生きる希望と勇気を与えてくれます。 これは日動画廊の長谷川徳七社長が、御母堂林子氏の生地発展の為にと寄せられた寄附金を基に、町と県の協力によって実現したものです。 一九八九年十月建立」

現存する数少ない江戸期の石造防波堤として土木遺産に指定された捨石積構造の東西堤。東堤の先端に見えるのは小さな石積灯台。瀬戸内海の海辺に育った私にとってこんな風に広がる海は、やはりどこか他所の世界に見えてしまう。

菊港から1k少々、次に訪ねたのは西日本最大の海岸墓地「花見潟墓地」。かって新婚旅行でここを訪れた『小泉八雲』が「霊気を感じた」と記していますが・・道路の上から見下ろす一群はどこか異次元を思わせ、つかの間の非日常を垣間見せてくれます。

「この墓地は、東西約三四九米、南北約一九~七九米、面積約二万平方米の広さで日本の自然発生墓地としてこの大きさはきわめて稀である。発生起源は不明だが、石造物などから中世後半以降の成立と推定されており、二万余基の墓が建てられている。特に赤碕塔はその形状の地域性から国東塔(大分県)と並び、石像美術史上貴重なものである。」現地案内より

赤碕搭・・・興味が無いと言えば嘘になりますが、手すりから離れて眼下に広がる地に足を踏み入れる根性が無い・・・(^^;)

早々に切り上げて更に西へ1キロ弱、続いて訊ねたのは「鳴り石の浜」。不思議な音に誘われて海辺でおどけて見せる御亭主殿。調子に乗ってると危ないですよ!!

琴浦海岸の西に位置する花見海岸は「ごろた石」といわれる楕円形の石が集積した自然海岸。海が荒れる日は打ち寄せる波によって、石同士がぶつかり合う独特の響きが聞こえると言います。

波打ち際に並べられた「河原の石積」。何故だろう?平たい石を見ると、どうして積み重ねたくなるのだろう・・。私には少し不思議な光景。

もともとは、誰も近寄らないような草とヤブに覆われた海岸を、今の様な観光スポットに変えたのは、琴浦町を盛り立てようと集まった地元の方たちだそうです。紺碧の海と対照をなし、何処までも続く白い海岸線。それはまるで常世を思わせる清浄さ。

ラストは琴浦海岸を離れて県道278号線沿い、琴浦町箆津(のつ)の一画に門を構えるのは、冒頭「菊港」ゆかりの、赤崎村大庄屋の「河本家住宅」

「貞享5年(1688)伯耆国八橋郡の大庄屋であった五代目『河本弥三右衛門』によって建築。屋根は茅葺で箱棟が乗っており、小屋組みは合掌作り。部屋は、変形六間取りで、炊事場には竈の上を土壁で覆った煙返しが施され、防火機能を持った珍しい作りとなっています。2010年12月24日、建造物五棟などが国の重要文化財に指定されました」琴浦町観光協会より

訪問日:2012年4月21日

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2012年の鳥取訪問では「道の駅:ポート赤碕」にて車中泊をさせて頂きました。お試しで買った日本海で獲れたイカの干物がとっても美味しく、つい大人買い(笑)。以来地元のお店で買ったイカの干物が食べられなくなりました(-"-)

車で旅をするものにとってこのような道の駅は、本当にありがたく大切な場所です。  改めて、その折は有難うございました m(__)m

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名探偵コナンに会えるまち~其の二 in 鳥取県北栄町

2017年05月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

駅から真っ直ぐ、一切の寄り道無しで歩いて5分・・なので、私たちの場合は小一時間(笑)。由良川に架かる「コナン大橋」には、5種類6体のブロンズ像と、4種類のレリーフがあります。左岸下流側にある親柱「夏の日」と、上流側の親柱「キック力増強シューズ」

「コナン大橋」の欄干には、スイカ・長いもマラソンのコナンなどのレリーフが並んでいます。

コナンにこんな子供居たっけ?とちょっと不思議だったレリーフも、その後の調べで判明(笑)「YAIBA」の主人公で、天下一のサムライを目指す『鉄 刃(くろがね やいば)』が特別出演。

コナン大橋右岸下流側の親柱は「なぞ解き」。コナン大橋右岸上流側の親柱は「推理」

そして大橋の二本の街灯柱には「ターボエンジン付きスケートボード」が待機中(*^^*)

「道の駅・大栄」、レストラン横の銅像は「変身ホームズ」

「道の駅大栄」に隣接して、2007年3月18日に開館した「青山剛昌ふるさと館」。

パネルや銅像に加えて、『阿笠博士』の愛車・黄色いビートル(フォルクスワーゲン)も登場です。

ふるさと館駐車場の南東角には、まさに「神出鬼没」の『怪盗キッド』が登場。

青山剛昌ふるさと館の玄関前では「少年探偵団」、五人のメンバーが勢ぞろい。

銅像以外にも、「名探偵コナン」のコミックスの表紙 第1巻~第28巻までが並んでいます。といってももちろん紙媒体の本では無く、本を模った御影石にイラストを影彫りしたもの。とりあえず二組だけ(笑)

撮影日:2012年4月20日&2016年10月22日

 

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名探偵コナンに会えるまち~其の一 in 鳥取県北栄町

2017年05月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

巨大な大栄スイカに取り付けられた「ようこそ 北栄町」の看板に出迎えられた「由良駅」。

由良駅、別名「コナン駅」。駅の入り口は勿論、待合からホームとあらゆる所にコナンがいます。

駅の記念スタンプはもちろん「コナン」。そして彼のライバルで神出鬼没の「怪盗キッド」。

実物は見られなかったけれど、列車の車体も、もちろんコナンのイラスト尽くし。流石に待ち時間一時間は、旅を楽しみたい私たちには長すぎます。

駅前広場に設置されたブロンズ像「真実はいつもひとつ」。2016年の来県時にはカラー版まで登場していました。

そういえば、北栄町庁舎前のカラフルな「すいかコナン」も、2016年の来県で初めて見ました。

由良駅前広場から道の駅大栄まで、全長約1500メートルの間に、青山剛昌の代表作「名探偵コナン」のキャラクターを中心としたブロンズ像などが設置されている「コナン通」。特にファンと言うわけでもないくせに、一枚写してしまうと、極めなければ納得できない妙な性分(-"-) 一通り探して歩きましたとも(笑)でも結果は・・・(ノ_-。)

順不同でトップは「眠りの小五郎」。陰に隠れて(という設定)音声変換の蝶ネクタイを使って推理を披露するコナン君。

コナン通りのポケットパークからは「新一登場」

北栄町図書館玄関前の「待ち合わせ」

  出会いの広場にある「はじまりの瞬間(とき)」

際限ないので続きは明日(((((^_^;)

撮影日:2012年4月20日&2016年10月22日

 

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三朝温泉・足湯巡り in 鳥取県三朝町

2017年05月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

世界でも有数の放射能泉を湧出し「療養泉」として世界的にも評価の高い「三朝温泉」。そんなすごい「三朝温泉」を無料で体験できるのが、温泉街に設けられた4つの足湯。今夜は「株湯」に入浴の予定ですが、それはそれ、これはこれ(^^;) 。「河原の湯」は、河原露天風呂の側にありますが、雨だし、屋根もないので上から指をくわえて見るだけ(笑)

三徳川沿いに少し後戻りすると、足湯のある歩道橋「かじか橋」があります。観光案内では桜のスポットと紹介されていますが・・確かに既に葉桜に近い桜が数本(^^;)

「かじか橋」の中央に設けられた足湯「かじかの湯」。横風には対応できませんが屋根付。貸し切り状態の足湯でのんびりと寛ぐ一時は、まさに至福(笑)

「かじかの湯」から眺める「三徳川」、雨にかすむ両岸の山々はまるで古い絵葉書のように美しく、不思議な郷愁に誘われます。

かじかの湯を後に、対岸の道を辿れば、小高い丘に香華も瑞々しく奉られる「大橋の石佛」。中央に「阿弥陀如来佛」左右に「弘法大師」と「水子地蔵」。二人揃って手を合わせ、知り人の無事、旅の無事を願いましょう。

さぁ、三朝温泉街へ戻って待望の(笑)町歩き。下駄ばきでのそぞろ歩きを想定している所為か、温泉街の道は雨の日でも比較的歩きやすい。更にコース案内も随所に設けられていて、道に迷う事もない(^^♪

可愛い童の像。台座に刻まれた道祖神。後方にある大石には誰かの句が刻まれています。

そぞろ歩く温泉街の一角に、屋根付きの足湯と小さいながらも立派なお堂が見えてきました。

この世における衆生の疾病を治癒し寿命を延べ、災禍を消去し、瑠璃光を以て衆生の病苦を救うとされる「薬師如来」。無明の病を直す法薬を与える医薬の仏として多くの信仰を集めています。

八百余年の昔から途絶える事なく湧き出るラジウム温泉が、諸病に効験あらたかである事に感謝し、温泉街の中心地に堂を設け、誰もがその恩恵にあずかれるようにと作られた「薬師の湯」。

三朝温泉:四つの足湯。最後は三朝温泉発祥の地として有名な「株湯」。

足湯の横には「三朝温泉の白狼伝説」を題材にした、狼と武士の像が建立されています。

それは平安時代の長寛2年(1164)のこと、『源義朝』の家来であった『大久保左馬之祐(さまのすけ)』は、主家の再興祈願のために「三徳山」へ参詣に出向き、そこで一匹の老いた白狼に出会いました。思わず手にした弓で射ようとしますが、参拝の前の殺生はならぬ事と思いとどまり、見逃します。

その夜夢枕に立たれた「妙見大菩薩」は、白狼を助けてくれた礼にと、左馬之祐に源泉の在処を告げました。

お告げの通り、白狼がいた楠の根株の下からはお湯が湧き出ており、病に効く「救いのお湯」として村人達に伝わったとか。この湯が元湯の株湯で、今でも公衆浴場「株湯」として残されています。株湯は三朝温泉発祥の地として貴重な事から、2010年に「三朝町指定史跡」に指定されました。

あこがれの三朝温泉発祥の「株湯」。ゆったりと寛いで旅の醍醐味を味わうつもりだったのですが・・・これが驚くほど高温で、とてものんびりとお湯に浸かるなんて状況ではありません(-"-)

温泉でご一緒した地元の人いわく・・「熱いと長居しないから、客の回転が速い」だそうです(^^;) 

撮影日:2012年4月20日

 

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