残された時間はどんどん少なくなってゆくのに、まだまだ回り切れない明治村一丁目。次は三重県名張市蔵持に明治21年(1888)に建てられた「三重県尋常師範学校・蔵持小学校」。この建物は当初、小学校教師の養成を目的とする三重県尋常師範学校の本館として津市に立てられ、その後、昭和3年(1928)に名張市に移築されて「蔵持小学校」として使われていました。
木造2階建て・桟瓦葺き、外壁は玄関部が漆喰塗りで教室部分は下見板張りになっています。設計は後に紹介する三重県庁舎と同じ『清水義八』。左右対称形のE字型の校舎の一部、特色ある中央玄関部と右翼の2教室のみが移築されています。
四本の円柱を立てた玄関のアーケード、柔らかな草花をモチーフにしたアーチ・・この玄関を潜る人たちの晴れがましさが伝わってくるようで思わず顔がほころんでしまう私。
右翼部分の通路
「明治天皇・昭憲皇太后御料車」が展示される「鉄道局新橋工場」ですが・・何故か建物の画像がありません(^^;)。
開村40周年を迎えた2005年、博物館明治村「鉄道局新橋工場内」に創建された「明治神社」。社殿は、明治神宮の本殿を10分の1に縮尺したものです。
宮城の守護と儀仗に当たる近衛局(明治22年に近衛師団と改称)の本部として明治21年(1888)に建築された「近衛局本部付属舎」。明治44年(1911)に師団本部が移転したため、皇宮警察本部がここに移り、坂下護衛所として使用されました。建物の基壇は石造で木造平家建ての瓦葺き、内と外の壁は白漆喰で塗られています。
ボンネットバスが「近衛局本部付属舎」の前を通り過ぎていきます。左手にポツンと見える小さな建物は・・・
東京都港区にあった「赤坂離宮正門哨舎」。明治41年(1908)に竣工した赤坂離宮(現迎賓館)の正門に、警護のために設けられた4基の哨舎(しょうしゃ)の一つ。哨舎は木造銅板葺き、八角形の平面で、洋風の正門にあわせて白壁に丸屋根、頂上に飾りをのせた洒落たデザインになっています。
神戸市元町に明治20年(1887~)頃に建築された「牛鍋 大井牛肉店」。こちらは今も現役で文明開化の象徴「牛鍋」を頂く事が出来ます。まぁ、肉と名の付く食材は全く受け付けない私には一生縁のない場所です(笑)
一階の入口と二階のベランダをアクセントとして、間口の狭い壁面に変化をもたせるとともに、西洋古典様式の柱と半円アーチの窓を配することで、全体を広く大きくみせています。
明治12年(1879)に建設された、現存する最古の県庁舎「三重県庁舎」。三重県令:岩村定高の発案による洋風県庁舎で、明治13年には明治天皇も行幸され、昭和39年(1964)まで使用されていました。
「明治政府が急速に地方行政の整備を進めると県令はこのような洋風庁舎を新築することが多くなりました。三重県庁舎は、間口が54mに及ぶ大きな建物で、玄関を軸に左右対称となっており、正面側に2層のベランダがめぐらされています。 中央に玄関と車寄を置き、前面にベランダをつけて左右対称とする構成は、明治9年(1876)に建てられた内務省庁舎にならったもので、明治初期の木造官庁舎の典型といえます。設計者は当時、県の土木掛にいた大工の『清水義八』。」公式HPより
明治期を代表するような美しい庁舎建築は、「坂の上の雲」など、数多くの映画やドラマのロケ地として使われました。時間が無くて殆ど走り見状態でしたが、十数年前の思い出が鮮やかに蘇る思いで深く懐かしい場所です。
残すのは明治村二丁目のエリアのみとなりましたが・・はてさてどこまで見て回れるのか・・と言うかすでに傾き始めた日差しの中でデジカメが役に立つのかどうか・・かなり怪しい時間になりました(^^;)
訪問日:2011年6月4日