犬山市入鹿池の畔に有る「明治村」。正式には「博物館明治村」。その設立趣旨は【明治時代の建造物等を移築して公開し、また明治時代の歴史的資料をも収集し、社会文化の向上に寄与することを目的とする】だそうです。
私たちが初めて「明治村」を訪れたのは、京都に越して間もない頃の寒い一月。朝一で高速に乗って、地図を頼りに車を走らせて辿りついた明治村。懐かしいねぇ・・・でも何だろう?お馴染み感が全然無いんだけど(^^;) 思えばあれからすでに十七年。感慨無量というのは自分たちの年齢に関してだけかも(笑)。
今日は明治時代の学生さんにお出迎えしてもらいました。記念写真はお決まりのピースサイン。普段はしないのだけど今回は特別に(^▽^)/
明治村最初の一歩は明治村5丁目エリアで一際の存在感を放つ「帝国ホテル中央玄関」。設計は、20世紀建築界の巨匠と言われたアメリカの建築家『フランク・ロイド・ライト』。4年間の大工事を経て、東京都千代田区内幸町に帝国ホテルが開業したのは大正12年(1923)、奇しくも関東大震災当日のことでした。それ以降、昭和42年(1967)の新館への建て替えまで、日本の代表的なホテルとして、東京を訪れる国内外の政治家や有名人に利用されました。
「メインロビー中央は、3階までの吹き抜け空間。中央玄関内のすべての空間は、この吹き抜けを囲むように配置されています。左右ラウンジ前の大谷石の壁泉と、吹き抜けの「光の籠柱」と大谷石の柱。大空間の中を光が上下左右に錯綜し、まわりの彫刻に微妙な陰影を与えることで、ロビーで過ごす時間を特別なものにしてくれます。」公式HPより
重厚さを絵にかくとこんな感じなんだろうね。考えたらホテルって何かの会合で食事に利用しただけで、お泊りとかした事ないんだわ(^^;) 何しろ田舎者だったからね。玄関ロビーだけでこんなんだから、きっとホテル全体って凄かったんだろうね~と、当たり前の感想を、当たり前にしか言えない二人(笑)。今回の旅に同行した友人のJさんと二人、すっかりその気で寛いでます。
帝国ホテル2階に展示されていたこちらのテーブルは「ポーツマス条約調印のテーブル」。明治38年(1905)、日露戦争を終結させるポーツマス条約が締結された際に使用されたものです。さり気なく凄い歴史の瞬間に触れた気分ですが、もちろん手は触れていません(笑)
長い長い年月が過ぎてきた事を語り掛ける水鉢。どこで何に使われていたものか知る由もないのだけれど、何故か足を止めて見入っていました。
次に向かったのは。かって愛知県岩倉市下本町にあった「名鉄岩倉変電所」。
「名古屋市内では京都市電に遅れること3年、明治31年(1898)に開通した名古屋電気鉄道により、市内電車が走り始めました。同社はその後も尾張地区に路線を伸ばし、大正元年(1912)には犬山線を開通。その時に建てられたのが、この「岩倉変電所」です。建物は、内部に大きな変電用機械が入れられるように、背の高いレンガ造りに。出入り口や縦長の大きな窓は、半円のアーチ型。褐色の塩釉系のレンガを、上下4段の帯に入れています。建物四隅にはバットレス(控壁)が取り付きます。」公式HPより
明治政府が中央図書館として明治44年(1911)に建てた「内閣文庫庁舎」の主屋部分。設計者は後に国会議事堂の建設を指揮することになる『大熊喜邦』。
「ルネッサンス様式を基調とした石と煉瓦で造られた建築で(移築時に構造は鉄筋コンクリート造に変更)、4本の円柱と2本の角柱が巨大なペディメントを受けている正面は、古代ギリシャ・ローマの神殿建築を思わせる姿です。」公式HPより
内閣文庫の前にあるのは「皇居正門石橋飾電燈」。皇居前広場から皇居に通じる石橋の上に設置されていた6基の飾電燈のうちの1つ。明治26年(1893)に橋とともに造られたもので、燈器には、四方に旭日と獅子の頭がデザインされ、腕木はアカンサスを模しています。
東京・日本橋のシンボルとして、永く人々に親しまれてきた「川崎銀行本店」。その正面左端の外壁が部分的に保存され、展望タワーとして生まれ変わっています。
「設計は、ドイツの大学で建築を学び、帰国後に多くの銀行建築に携わった『矢部又吉』。ルネッサンス様式を基調とした本格的な銀行建築で、鉄筋コンクリート造(一部鉄骨)造の構造に、外壁は花崗岩積を使用。地上3階・地下1階、間口38m、高さ20mの堂々たる建造物でした。3層構成の1層部分である玄関は、ブロンズ製の重厚な両開扉が備えられています。」公式HPより
「内閣文庫庁舎」「川崎銀行本店」を後に
長崎湾の入口に位置する伊王島に建設された「大明寺聖パウロ教会堂」。「フランス人宣教師ブレル神父の指導のもと、大浦天主堂建設に携わった地元大工の『大渡伊勢吉』によって建設されました。木造平屋建て入母屋造り、桟瓦葺。正面の鐘楼と入口土間は、昭和20年代に信者の浄財を元に増築されたものです。」公式HPより
内部は後期ゴシック様式で、身廊と側廊をもつ三廊式(バシリカ式)。身廊の天井は後期ゴシックの教会堂の交差リブボールト天井を模して漆喰塗で作られています。特に信仰を持たない私ですが、純粋に美しいと思います。
2014年10月の長崎方面車泊旅で訪問した「伊王島」。自治体人口に占めるカトリック教徒の比率が日本で最も高かった島と聞かされた時、ふとこの教会の事を思い出し、無性に懐かしく感じたものです。
100万平方メートルもの広大な敷地に展開される大明治のパノラマ、まだまだ続きます(*^^*)
訪問日:2011年6月4日