江南市前野町に鎮座される「前野(まえの)天満社」、御祭神は『菅原道真公』。
由緒「文永五年(1268)、前野時綱が母の生家である越後国菅原天満社宮司の娘であった由縁を以て勧請した旨を記した棟札が存在している。大永五年(1525)、時綱の子孫である前野正義が天満社を改修。その他、境内には板倉四郎右衛門行記が創建した大日霊社と森勘解由正久が創建した八幡社があり、三社を先祖の墳墓の上に奉祀していた。明治四十四年、天満社に二社を合祀し新たに神殿を奉献。 神社の改修時に墨俣攻めに使用したと伝わる資材運搬用のソリの車輪、のろし筒などが発見されたことで、戦国武将が祈願した神社として知られるようになった。」Wikipediaより
深い緑の境内をまっすぐに進むと一の鳥居
石造りの太鼓橋は、神様の神輿を担いで渡る道と言われます。一般的には、前後に柵を設けて立ち入らないようにしていますが、ここは敢えてそうはしていません。そんな事をしなくても大丈夫だと、きっと氏子の方々は考えておられるのでしょう。
太鼓橋の先に、石造の連子窓がついた昭和五十二年十月吉日建之の「蕃塀」と、前面に「百度石」。
蕃塀下部の飾り彫りは「獅子と牡丹」。中央には大きく、菅原道真公の家紋であり、前野天満社の神紋でもある「梅鉢」。
蕃塀を抜けて更に参道を進むと、四方が吹き抜けになった神楽殿を兼ねた平入の拝殿。
拝殿奥の数段高い位置に設けられた神門と奥に続く本殿。その先頭より神域を守護されるのは、明治44年10月吉日建立の天神様の神使い「撫で牛さん」一対。
といってもこれでは撫でるどころか、触るのも無理な気はします。ここまで厳重にしなければならない何があったのか分かりませんが・・鉄籠の中の神牛さんは・・大切にされているのだと思いながらも、切なさを感じます。
神牛さんの奥より神域を守護されるのは、昭和6年10月建立の狛犬さん一対。吽形さんは長い牙を覗かせながらも穏やかに笑みを浮かべ、前足には仔狛を縋らせています。かたや、豪快な笑い声が聞こえてきそうな大口で、毬を手にする阿形さん。
一生懸命に親狛を見上げる仔狛さん。古今東西、この愛らしさに敵うものなど存在しません(笑)
更に拝殿近くより神域を守護されるのは、明治45年1月建立の耳立て浪花系狛犬さん一対。こちらも吽形さんの前足に仔狛が縋りつき、阿形さんは前足で毬を抑えています。
そしてやっぱり、この必死な顔つきが可愛くて仕方がない(*^^*)
神門の上段前より神域を守護されるのは、昭和52年10月建立の護国タイプのブロンズ製の狛犬さん一対。
さらに神門の屋根の上では留め蓋の獅子さん一対。何と言うか・・緊張感ゼロの顔つきで、一応参拝者を見守ってくれています。
本殿南側に鎮座される「社宮司之社」。「弘治三年三月大日霊社跡に板倉四郎右衛門行記創建の社にて住民親しく五十様と呼んで崇拝したが昭和四十五年此処へ遷座された。」解説より
境内から少し離れた社殿左手の石垣の上に「金毘羅大権現」碑。合祀社「津島社:秋葉社」
「修行僧像」「峯山大権現:碑」「役行者像」「天照皇大神宮碑」
左手に大きな鐘、右手に杖を持ち、首から頭陀袋を提げた「修行僧像」。左手に経巻、右手に羂索を持つ「役行者像」。
「役行者像」の台座には、中央に「村中」の刻。対峙する二人は「隔夜参り」だろうか?こういう知識の乏しさが悔しい(^^;)
御神馬
「蕃塀」の北に置かれた「小口古道石橋」「小口村「乗り船」至る村の水路「一の枝」に架かる石橋。弘化五年(1848)申二月と刻む。」裏面より
参拝日:2011年6月4日