車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

歴史的建造物を訪ねて in 鳥取県米子市

2017年07月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

「国登録有形文化財 旧日野橋」

「日野川に初めて本格的な木造橋が架けられたのは明治21年(1888)の事だが、大正12年(1923)の洪水で流失。その為、約2年の工期をかけ昭和4年(1929)に全長365.8m、幅5.8mの現在の旧日野橋が完成。2本の円柱をつないだコンクリート橋脚5基に6連の三角形組合せの骨組みを曲弦材(きょくげんざい)でつなぎ、垂直の間柱(まばしら)をいれた「曲弦トラス」構造に、各連のつなぎ目に半円アーチをくりぬいた曲線型の橋門梁を渡し、親柱には四角い切石積みの花崗岩を使用。道路のトラス橋としては県内で最大、最古の橋で、大山を背景とする姿は、米子を代表とする景観として地域の人々に親しまれている。」公式HPより

1998年5月、日野橋左岸側に設置された、明治21年架橋の「初代日野橋(木橋)親柱」と、大山を背景に日野川をまたぐ旧日野橋。

米子市車尾南、米子市制60周年記念事業の一環として昭和62年(1987)11月に水道記念館としてリニューアルオープンした「国登録有形文化財:米子市水道記念館」。大正15年(1926)に竣工し、水道創設当時から昭和45年(1965)までの間、車尾中央ポンプ場上屋及び監視室として上水道の安定供給を支えてきた施設。

外観は白壁に赤瓦、一部にアーチの窓があるロマネスク風のモダンな建築・・なのですが、画像に残せたのは距離を保てた一部のみ(^^;)

「水道記念館の横に池を挟んで建つ「創設記念碑」は『伊藤正文氏』の設計で大正14年に建設。花崗岩を貼り合わせた高さ7メートルの鉄筋コンクリート造。四面にアーチの装飾を施した矩形の土台に円筒をのせ、相輪状の円盤を先端に重ね、さらに円筒には6片の石材が花弁状に取り巻く。土台のアーチ部分の扁額には、時の内閣総理大臣若槻礼次郎をはじめ、水道事業に携わった人々が名を連ねる。」公式HPより

開口部の上部には「天助人(天は自(みづか)ら助くる者を助く)」の扁額。

米子市中町、鉄筋コンクリート造り3階建て、赤レンガ色タイル張りの建物は「市指定有形文化財 米子市役所旧館」

「旧米子町役場が火事で焼失した為、昭和5年(1930)に庁舎設計の第一人者の『佐藤功一氏』の設計で建設。建物は近世ルネッサンス様式の鉄筋コンクリート3階建。正面は左右対称の構成で中央に車寄せ、上部にバルコニー。外壁は1階が人造石に目地をいれ、2、3階が赤レンガ色の硬質スクラッチタイル張りでどっしりした外観。昭和57年(1982)まで市役所として使われ、市役所新築移転は米子市立山陰歴史館として利用されている。」公式HPより

米子市の中心部を流れる旧加茂川沿い、江戸時代の情緒を残した白壁の土蔵群が続きます。

川面にゆらゆらと影を落とすお蔵を見ながらの川下りなんて、まさに粋なお大尽の遊び。まるっと庶民の私たちには多分一生縁のない世界(笑)

ところで・・・この川には、なんと!河童が住んでいたという江戸時代からの伝説があるのです。と言うことで(笑)白壁土蔵群を背景に、伝説を元にした河童のオブジェが設置。

ゲゲゲの鬼太郎の作者『水木茂』監修の「河童の三平」。

柱をよじ登る河童の父子。ちなみに父子像に紛れ込んだ赤い服の怪しい人物、一応・・河童の仲間ではありません(-"-)

旧加茂川沿いを更に行くと、国重要文化財に指定された「回船問屋 後藤家住宅」。江戸時代初期に石見国から移住し、代々、藩の米や鉄の回漕の特権を与えられた回船問屋。明治の初期には、北側道路に面した敷地に数多くの蔵や付属建物が建ち並んでいたと言います。

川向うから見ると、その広大さが更に実感できます。

ここから立町の方に歩いていくと、レトロな看板の駄菓子屋さん「岡本一銭屋」

子供の喜ぶ駄菓子が売られており、店の前にはちょっと年かさの子供たち?もたむろしています(笑)

米子市の中心駅「米子駅」の東側にある「だんだん広場」。ここには山陰で初めての鉄道路線を記念した、記念碑やモニュメントなどがあります。

じっと見ていると脳裏に浮かぶあのシーン、耳によみがえるあのフレーズ・・・・【今 万感の思いを込めて 汽車が行く・・】

訪問日:2012年4月21日

 

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