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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

旧根雨公会堂~根雨町歩き in 鳥取県日野町

2017年07月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

江戸時代、参勤交代が交差する地で、出雲街道の宿場町として栄えた「根雨宿」。根雨の町並みには参勤交代の大名が泊まった「本陣の門(日野町指定有形文化財)」が現存しており、往時の面影を今も濃く残しています。

ただ何気なく歩くだけなのに、旅人気分を味合わせてくれる町並み。この何とも言えない「ウキウキ感」が町歩きの醍醐味なのですが・・

根雨の町歩き一番のお目当ては、たたら製鉄による鉄山経営で財を成した近藤家の屋敷。現在は「日野町歴史民族資料館」として町の歴史などが展示されています。

国登録有形文化財に指定された建物は、昭和15年(1940)、たたら製鉄で財を成した近藤家の七代当主・近藤寿一郎氏が「根雨公会堂」として根雨町に寄贈。

正面・側面の上部には、根雨の「ネ」と文化の「文」を組み合わせたシンボルマークを配置。

日野地域の文化の殿堂として存在していた当時の姿を今に伝えるものとして、根雨宿の人気スポットとして紹介されています。

「昭和58年5月に国道180号下菅地内の道路拡張工事中、藪津橋下流東側の水田より発見された。この石は坊主石(ぼうずいし)といわれ、江戸時代末期のたたら炉床の基礎となった石である。現在、郡内で確認されているものは日野町にある2個のみで、非常に希少価値の高いものである。また、この炉床は同一地点でたたらの施設を作りかえたもので、県内でも例がなく歴史的価値の高いものである。現在は、国道下に埋め戻し保存されている。たたらの名称 才ノ原たたら跡」現地案内原文

出雲街道:根雨宿の一角。切妻作りの玄関は、かって旅館業を営んでいたのかしら?傍らのショーケース下には「こばた(煙草)」の文字。

「旧雲陽実業銀行根雨支店」が建てられたのは昭和4年(1929)。二年後に「松江銀行根雨支店」、昭和16年(1941)に現在の「山陰合同銀行根雨支店」になりました。

1996年には鳥取県の「県民の建物100選」に選定された「山陰合同銀行根雨支店」。歴史の遺産ともいえるこの佇まいが、この先も大切に残される事を願ってやみません。

で・・突然ですが(笑)町歩きはここまで(-"-)、実はこの時、街道筋の向こうにある「島根銀行」の屋根が強風で剥がれかけたとかで、通行禁止になっていたのです。

丁度、本陣の門の辺りでゲートが作られ、優しそうな婦警さんが立ち番をされていました。「折角、遠くから来たのに残念でしたね」と言ってくれましたが・・・・ええ、本当に!!。それでも「山陰合同銀行根雨支店」の写真を撮る事を許可して頂けて、本当に有難かったです。御亭主殿、大急ぎで行って、何と3分以内で帰ってきました(笑)

訪問日:2012年4月22日

 

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