車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

深志(ふかし)神社~Ⅰ~ in 長野県松本市深志

2022年07月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

松本市深志に鎮座される「深志神社」。主祭神は『建御名方命・菅原道真』。地域の人々からは「深志天神・天神様」と呼び親しまれています。

正面(西)参道、一の鳥居

朱塗りの二の鳥居

「深志神社」社号額は天保十二年(1841)に正式名称として許可された際、神祇道管領『長上卜部良芳』の揮毫による由緒あるもの。

社伝に「諏訪明神(建御名方命)の夢をたびたび見ていた信濃守護・小笠原貞宗が戦勝に感謝し、暦応二年(1339)に諏訪明神を祀って創建したのに始まる。当初は宮村宮(宮村大明神)と称した。応永九年(1402)、小笠原長基が北野天満宮(天神)を勧請。永正元年(1504)、小笠原氏の家臣が深志城(松本城)を築城すると、当社を城の鎮守・産土神として崇敬し、社殿を西面に改めた。天文二年(1533)、信濃が武田氏の支配下に入ると当社は荒廃。天正十年(1582)、小笠原氏が信濃に復帰して社殿を修造し、深志城の南方の鎌田村に小笠原氏によって勧請され創建されていた天満宮(鎌田天神)の分霊を、宮村宮の北の新宮に奉遷した。天保十二年(1841)に正式な社名を「深志神社」と定めた。」Wikipediaより

二の両部鳥居左右より神域を守護されるのは、建立年不明の狛犬さん一対。御亭主殿いわく、おそらくは江戸時代中期の頃と思われるが、確証は持てないとの事。

別にいつの時代であろうと良いものは良い。救い上げるような目線で見上げる吽形さん。大らか過ぎる笑顔で参拝者を迎える阿形さん。見上げる私まで笑顔になって気分が晴れやかになります。

2010年に参拝をし、2016年の参拝で懐かしく再開した狛犬さん。兎にも角にも壮健な姿が拝見できて何よりです 😊 

画像左手に「天満宮」、その左下に僅かに見える社殿は「八坂神社」「元禄十三年津島神社より勧請、特別な由緒がありご本殿に並び祀られる。」右奥に「宮村宮」の両本殿。「両殿とも一間社流造極彩色銅版葺で、明治八年の建替。2002年の菅公千百年御正忌大祭記念事業で、荘厳な本殿として全面的に改修されました。」公式HPより

本殿前「幣殿を伴う拝殿は入母屋造極彩色銅版葺で、正面には伏見宮貞愛親王御親筆の社号額(明治30年)が掲げられています。本体部は江戸中期の営繕とされ、時代と共に増改築されてきましたが、2002年に本殿と同じくすべて改修されました。」公式HPより

伏見宮貞愛親王御親筆の社号額

社殿蟇股には京都北野天満宮と同じ「星梅鉢」の御神紋。梁に描かれた白梅の古木が、鮮やかな社殿に美しく映えています。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、昭和三年六月二十五日建立。『刻者・有賀 新作、小池 福太郎』 による、ちょっと不思議な雰囲気の狛犬さん一対。

何かに似ている・・と考えていて不意に思い出したのは、京都大江山の鬼の博物館に収蔵されていた鬼。これとそっくりな顔が😲  あれは鬼瓦だったか、それとも鬼面だったのか、なにはともあれ、不思議な愛嬌のある一対。

参道正面に「神楽殿」「江戸時代前期寛文十二年(1672)に建立され改修が重ねられた、当神社に現存する最古の建物。元は拝殿で、優美な姿はそのままに瓦から銅版に葺き替えられました。」公式HPより

天神さんで知られる深志神社、境内には注連縄が張られた牛舎の中で、木彫りの神牛さんがゆったりと座っています。

「神牛 博労町 御世忌一千年祭(明治三十二年)に氏子町会である博労町より奉納されました。松本の著名な彫刻家『原田蒼渓』刻」駒札より

木肌を生かした神牛の姿は、いまにも顔を上げてこちらを振り向きそうな迫力。各地の天神様に参拝するたびに、この木彫りの神牛さんを思い出します。

天神様の神使いの撫で牛さん、ちゃんと人の手で撫でられる場所で、顎を上げて待っておいでになります 😊

覆い屋の下に保存されていた御神木の株

二度に渡っての参拝となった「深志神社」。まだまだ見所が一杯ですが続きは明日の深志神社~Ⅱ~で。

参拝日:2010年10月16日&2016年4月21日

 

コメント (2)
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