松本市美須々に鎮座される信濃國総守護「長野縣護國神社」。御祭神は『長野県出身の明治戊辰の役以来大東亜戦争に殉ぜられた御英霊』
「当神社は、昭和十三年長野県民の総意によって、本県の中央であり旧陸軍松本歩兵第五十連隊に隣接する現在地に仮殿が建設され、長野県招魂社として明治戊辰以来の御英霊を奉祀し、昭和十四年内務大臣の認定を受け、長野県護国神社と改称いたしました。終戦後の神道指令により、昭和二十一年宗教法人として再発足し、昭和二十二年美須々の宮と改称。同二十九年、長野県護国神社と複称いたし、昭和三十二年、神社本庁より別表神社に指定された。」現地由来より
第二鳥居
参道正面に御本殿が鎮まられます
南十字星の下に散華せる 「嗚呼戦友」杉山茂謹書
「大東亜戦争に日本を遠く遥か南溟の彼方ニューギニア島及其の周辺に祖国防衛のため挺身し、 海行かば水漬く屍 山行かば草むす屍と散りし友の歩んだ途は惨烈悲壮筆舌に尽くし難し 嗚呼 友の霊何処にぞ戦終り時移りて此処に三十年 今ぞ群霊懐かしの故郷信州に帰りてこの地に鎮まり新しき日本の礎となる吾等亡き友の昔日を偲び 御霊よ 久遠に安かれ と信濃の国各地の不変の石にこの祈願を刻し、やがては同じ石下に吾等も魂魄を鎮め共に昔を語らんことを期して、此処にこれを建てる 長野県ニューギニア会昭和49年7月28日」
「シベリア抑留慰霊碑」
「1945年8月の終戦は、ポツダム宣言の受諾によるが、同宣言9項を無視したソ連の蛮行により、日本軍将兵ら60万余がシベリア各地へ強制連行され、飢餓、酷寒、過酷労働の三重苦に苛まれ、犠牲者6万余に及ぶ悲劇的な大惨事となった。人道に悖るかかる暴挙の風化を忍べず、忘却させてはならない残酷史として後世に伝え、犠牲者の冥福と恒久平和を祈念し、本慰霊碑を建立する。2005年8月9日シベリア抑留慰霊碑建立委員会 」
「拓友之碑」満蒙開拓青少年義勇軍・佐藤中隊碑 昭和44年建立
左「拓友之碑」満蒙開拓青少年義勇軍第7次斉藤中隊碑 昭和51年建立
右「砲魂」佛印派遣討4237部隊第4中隊昭和61年建立
「繭の花」と題された歌碑
万葉歌碑【 紅の浅葉の野らに刈る草の 束の間も吾を忘らすな 】読み人しらず
祖国の未来を信じて戦い散華された方々に、心からの感謝を捧げます🙏🙏
参拝日:2016年4月21日