車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

深志(ふかし)神社~Ⅱ~ in 長野県松本市深志

2022年07月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

昨日に引き続いての「深志神社」、境内にはいくつかの摂社が祀られています。まずは二の鳥居を潜った左手に、立川流の彫刻と極彩色に施された手水舎。

その左手奥に「境内社:恵比寿殿(恵比寿神社)」が鎮座されます。御祭神は『事代主神・大国主神』「本町一丁目の守護神として寛保2年(1742)に境内に祀られました。例祭日には恵比寿様の御神像が飾られ、商売繁盛を願います。」公式HPより

神苑を超えた先に清らかな湧水が流れる「手水鉢」が置かれ、鳩が気持ちよさそうに水番をしています。この湧水、お水取も可能だそうで、知ってたらペットボ・・・😅

手水鉢を経て三の鳥居を右に見ながら「境内社:楠公神社」へ。御祭神は『 楠正成公』「崇敬者初代赤羽茂一郎氏を始め氏子の浄財により昭和10年に創建。智・仁・勇の三徳を備え、大楠公と称される御神徳は広く霊験あらたかです。」公式HPより

そのまま手水鉢まで戻り「境内社: 市神社」。御祭神は『太市姫神(おおいちひめのかみ)・塩土之老翁(しほつちのをじ)・事代主神』「商都松本の萬商守護神とされ、「敵に塩を送る」の故事に由来した正月の伝統行事であるあめ市の神様。あめ市の期間中この市神社より文政九年(1826)制作の神輿が遷座され、本町二丁目町内に祀られます。」公式HPより

「境内社:金山神社・松尾神社・三十四末社」。左に「金山神社」御祭神は『石凝姥命(いしこりどめのみこと)・金山彦命・天目一命(あめのまひとつのみこと)』「松本金山会により鐵工・金属業の守護神として崇敬されています。」中央に「松尾神社」。御祭神は『大山咋命』「天保8年(1837)観請と伝えられ、酒造りの守護神として崇敬されています。毎年例祭には佳い新種の醸造を祈り、杉玉が新しく据え替えられます。」右に「三十四末社」「境内に数多くあった末社が、明治以降三十四末社としてまとめて祀られました。」公式HPより

「境内社: 愛染神社」。御祭神 は『草野姫命(かやのひめのみこと)』「古くは愛染明王・染殿社と称されました。愛染講により染物業の守護神として崇敬されています。」公式HPより

北参道から境内に入った右手に絵馬殿があり、80数面に及ぶ江戸時代中期以降の奉納絵馬が保存されています。御正忌大祭記念事業で常設の絵馬殿として改修されたとの事、参道からでもその素晴らしい絵馬を拝見する事が出来ます。最初の絵馬は「誉田別尊(後の応神天皇)を抱く武内宿禰の図」

「石山寺にて源氏物語を執筆する紫式部の図」。式部は石山寺で「源氏物語」を書いたと言われています。

「弓の名手『源為朝』「痘鬼神」を退ける図」。鬼にしては凶暴さに欠ける半裸の男二人・・でも多分「痘鬼神」(笑)

「別れを惜しむ女性」

「上杉謙信と武田信玄:天保七年(1836)六月奉納」上杉謙信と武田信玄の川中島の戦いの一場面、馬上の謙信の刀を軍配で受ける信玄の図は有名です。

菊水の旗印がみえるので「湊川の戦に臨む南朝軍」。タイトルは勝手に「~だろう」と解釈したものなのでツッコミは無しで 😅  。でも正解をご存知の方は是非!コメント欄に。

広い境内には沢山の歌碑や句碑、顕著碑等が建立されています。まずは御祭神「菅公御神筆歌碑」【  こちふかば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ   延喜元年御詠 】

「参議有長:歌碑 明治三十二年三月建立」【  天満る 神のめぐみぞ なほ深き ふかしてふ名の 世々にたえずば  】

「狂歌堂真顔 文政九年丙戌九月」【  立ち廻す 高嶺は雪の銀屏風 なかにすみ絵の 松本の里  】

左は「北条庵香風情」の歌碑。右は特に説明も無く、何方の句碑なのか歌碑なのかも不明。

「自由民権家 松沢求策記念碑」「穂高町に生まれ、明治初年、国会開設運動に関わり長野県の代表として、また全国の運動の先頭に立ち請願権の確立、政党の結成などに大きく貢献しました~後略」

左「〇〇記念」碑・右「仰神威」

2010年、2016年の二度に渡る参拝で、一応 深志神社の三分の一くらいは堪能できたのではと思います。三度目の参拝はおそらく無いと思いつつも・・いつかこの美しい社殿の前に立つ日のある事を願って🙏🙏

参拝日:2010年10月16日&2016年4月21日

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする