貝塚市木積(こづみ)に門を構える浄土宗寺院「慈眼山・孝恩寺(こうおんじ)」。国宝指定で「木積の釘無堂」と呼ばれる観音堂で知られており、『阿弥陀如来』を本尊とします。
「観音堂は、奈良時代の神亀3年(726)、僧行基が木積の地に建立したとされる深谷山観音寺のお堂として建てられた建物です。現存する建物は鎌倉時代後期の再建と考えられています。明治36年(1903)に国の特別保護建造物に指定され、大正5年(1916)に解体修理が行われました。その後、昭和28年(1953)、文化財保護法により改めて国宝に指定されました。」貝塚の文化財より
折角の国宝の観音堂ですが、周囲に駐車スペースが見当たらず、路駐できる場所もないため、ご亭主殿は車に残り、私1人での参拝となりました。
観音堂が「釘無堂」と呼ばれているのは、建築に際し釘を使用していないとの意味ですが、伝統工法の木組みを用いた社寺建築では、構造部分に釘を使用しないのは必ずしもこの堂に限ったことではないとの事。日本の建築技術って、昔から本当にすごかったんだと再認識。
孝恩寺の創建は明暦元年(1655)、『孝恩上人』によってとされていますが、その由来、草創年月などは不明とされています。本堂である観音堂はもとは深谷山観音寺の観音堂でしたが、大正3年(1914)に孝恩寺と合併。旧境内地は孝恩寺となり、昭和36年より観音堂を同寺の本堂としました。お寺同士の合併って言うのも有るんですね・・初めて知りました(^^;)
境内の一隅にある「五輪石塔」には、地輪中央の梵字の右に「貞和二二年戊子」、左に「七月十四日」。制作年代が特定できる五輪石塔として、旧観音寺の遺物と考えられています。解説板によれば、南朝勢力下にあったこの地域で「北朝の年号である貞和」は貴重な事例なのだそうです。
境内一角『松瀬 青々』の句碑は、孝恩寺の弥勒菩薩坐像をうたったもの。
【 弥勒仏の 下生(げしょう)をいつと 囀(さへづ)れり 】
石版には「漢詩」の一節か何かが刻まれています。 陽は古堂を照らすとか、建立千年とか・・・残念ながら全部の漢字を読み取れないので、内容はほぼ不明(^^;)
こちらも同じ境内にあった石塔二基ですが、特に解説などは添えられていません。
手入れの行き届いた境内、奥に見えるのは鐘楼のようです。
「釘無堂」を後にして「水間観音駅」へと向う途中、近木川に架かる大橋の親柱に「釘無堂」を発見。少し先で車を降りて引き返しデジカメを向けていたら、側にいた人に不思議がられてしまいました(笑)
参拝日:2015年10月9日