泉大津市豊中町に鎮座される「泉穴師(いずみあなし)神社」、式内社で和泉五社のひとつ、和泉国二宮。御祭神は『天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)・栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)』
社伝によると「白鳳元年(672)の創建とするが、神功皇后の時代に創建されたとも神武東征の際に始まるともいわれ定かではない。天平10年(738)の和泉監正税帳によると、聖武天皇から大鳥大社と共に1,300石の社領を賜ったという。元弘元年(1331)、楠木正成が石燈籠を奉納。天正3年(1575)、織田信長より社領安堵の朱印状を与えられ、慶長7年(1602)には豊臣秀頼によって社殿が再建された。」由緒より抜粋
二の鳥居の内に美しい造りの石の反り橋
反り橋の左右より神域を守護されるのは、嘉永2年(1849)2月建立の浪花系の狛犬さん一対。真ん丸な目と柔らかそうな口元、太短い四肢が何とも言えぬ愛嬌を感じさせます。
裏参道、三の鳥居
三の鳥居の内より神域を守護されるのは、明治28年吉日建立の昔浪花系の狛犬さん一対。扁平頭と顎の下のカールが何かのキャラクターを思わせて、とても人懐こい印象。
泉大津市指定有形文化財で入母屋造:瓦葺の拝殿は、慶長年間(1596年 - 1615年)に片桐且元を奉行として豊臣秀頼が再建。拝殿の前には鳥居(泉大津市指定有形文化財)が2基並んでいるが、これは本殿に祀られている夫婦2柱の神に対して1基ずつ備えられたものです。
拝殿前より神域を守護されるのは、享和元年(1801)9月吉日建立の、昔浪花系の狛犬さん一対。同じ昔タイプでもこちらはぐっと大人っぽいイメージです。
拝殿向かって右手、透かし塀の奥のご神域中央には、重要文化財の三間社流造:桧皮葺の本殿。 慶長7年(1602)に片桐且元を奉行として豊臣秀頼によって再建されました。遠目からですが脇障子の美しさが何となく察せられます。
本殿向かって右に鎮座されるのは、重要文化財で一間社母屋造:檜皮葺の「摂社:春日神社」。御祭神『天富貴命(あめのふきのみこと)・古佐麻槌命(こさまつちのみこと)』。慶長7年(1602)頃の造営とされます。
透かし塀のこちら側より春日神社のご神域を守護されるのは、文久4年(1864)4月吉日建立の浪花系の狛犬さん一対。
丁寧に作りこまれた目鼻・顔かたち。置かれた場所が良かったのか全く無傷と言ってよい状態に思わず建立年を再確認してしまうほど。
本殿向かって左隣に鎮座されるのは、重要文化財で一間社入母屋造:檜皮葺の「摂社:住吉神社」。御祭神『表筒男命・中筒男命・底筒男命・息長足姫命』。 鎌倉時代、文永10年(1273)の造営。
住吉神社の向かって左隣に鎮座されるのは、向破風造真橡付 銅葺の「摂社:穴師天満宮(合祀殿)」。 御祭神『菅原道真公・ 他七座』。
透かし塀の前より住吉神社・天満宮のご神域を守護されるのは、文化4年(1807)8月吉祥日建立の浪花系狛犬さん一対。
建立年代の差はわずか60年弱・・同じ拝殿の左右でなぜこれほど損傷の違いが出たのか・・相方である吽形さんのお顔を見る限り、きっととても良いお顔の阿形さんだっただろうと推測されます。
境内左側「摂社・大国主社」。御祭神『大国主命・事代主命・市杵島姫命』
伊勢神宮:遥拝所
天然記念物、泉穴師神社のクスノキ大木群
「泉穴師神社:飯ノ山だんじり」の絵馬
参拝日:2017年4月25日
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御神名一口メモ
『天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)』、天照と素戔嗚の誓約で生まれた五皇子の長男。『瓊瓊杵尊』の父神。
『栲機千々比売神(たくはたちぢひめのかみ)』、『高木神』の娘で『天忍穂耳命』の妻。『天火明命』・『邇邇芸命』の母神。
『表筒男命(うわつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・底筒男命(そこつつのおのみこと)』、「住吉三神」。『伊奘諾尊』が黄泉の国の穢れを清めるために禊をした水から生まれたことから、水の神とされる。