養父市養父市場に鎮座される「養父(やぶ)神社」。式内社(名神大社2座、小社3座)、旧社格は県社。天平9年(737)の「但馬国税正帳」に「出石神社」「粟鹿神社」と並び、但馬三ノ宮として知られています。
御祭神は『倉稲魂命・大己貴命・ 少彦名命・谿羽道主命(たにはみちぬしみこと)・船帆足尼命(ふなほそこねみこと』。「養父の明神さん」と呼ばれ、農業の神として知られています。
由緒沿革「崇神天皇30年(皇起594年)御鎮座。仁明天皇承和十二年に無位養父神を従五位下に叙し清和天皇貞観十一年従五位上養父神を正五位下に叙され十六年正五位上を加う」公式HPより
石段参道の先に隋神門
隋神門の内より神域を守護される随身様。
隋神門からまっすぐに、銅板葺き入り母屋造の拝殿は、江戸時代末期:元禄9年(1609)の造営。拝殿額には「山野口大明神 養父大明神」の両神名が記されています。
拝殿に至る境内の左右より神域を守護されるのは、明治32年(1899)4月建立の出雲丹後系の狛犬さん一対。すっかり苔むしていますがその迫力はいまだ衰えを知らずです。
拝殿間近の左右より神域を守護されるのは、明治26年(1893)9月建立の日本狼さん一対。「兵庫県神社誌に、かって狼を使令(しれい)とする一対の大石があり、猪や鹿のため田畑が荒らされた際に、当社に参拝して「狼をお借りしたい」と願うと社人が、その石に繋いでいた鎖を解く。すると猪や鹿がに荒らされることが無くなったという。」今は、狛狼様がそのお役を継いでいるのかもしれません。
その昔、大切な田畑を荒らす猪や鹿から作物を守る益獣として大切に守られてきた日本オオカミですが明治38年にほぼ絶滅。その結果、原生林などの裸地化が進んでいるそうですが・・ともあれ、農村の守り神であった日本狼に敬意を表して画像追加(笑)
養父市のHPによると阿形さんが雌で、吽形さんが雄なんだそうです。百聞は一見にしかず・・是非とも現地で確認下さい(^^;)
桧皮葺入母屋造・千鳥破風の本殿も、拝殿と同時期の造営とされ、共に兵庫県登録文化財に指定されています。
本殿屋根の上から神域を守護する銅板細工の鬼達。銅板の緑と真っ赤な口元のコントラストは、魔除けには十分すぎる迫力。
約1800年前から伝わる養父神社の御渡祭「お走りさん」神事。昔、円山川一帯が泥海であった時、斎神社の祭神『彦狭知命』が、城崎の瀬戸の山を切り開き泥海を美田に変えた神恩に報いるため、五社明神の名代として礼参に赴いた事が起源とされます。神輿を担いだまま首まで浸かって大屋川を渡る「川渡御」は勇壮果敢といわれ、 但馬三大祭りの一つとされています。
「御神輿の前面一部」
大屋川に架かる「大屋橋」の高欄にあった「お走りさん」の写真。
「神輿庫」
境内左手に鎮座される「御霊神社」。御祭神は『伊弉諾尊、伊弉冉尊』。社殿は元の御本殿であり、応安二十年(室的時代)の建立。この方向から皇居、神宮が遥拝できます。
神社建築・狛犬ファンには必見の境内社など見所はまだまだ在りますが、続きは明日のブログで。
参拝日:2011年3月31日&2014年11月20日
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『谿羽道主命(たにはみちぬしみこと)』、四道将軍の1人。第9代開化天皇の皇孫で、彦坐王の御子。
『船帆足尼命(ふなほそこねみこと』、彦坐王五世の孫で、但馬国造。