豊岡市赤石、円山川東岸にある国指定の天然記念物「玄武洞(げんぶどう)」。
大体において、植物、地質・鉱物で国の天然記念物と言うのは、無知な私たちには「なんちゃ~良うわからん~???」な代物なのですが😅、流石にこれは一目見て「わ~~~~ぁ!!!」。足も目も釘付けになる光景。
160万年前に行われた火山の噴火によって山頂から流れ出したマグマが冷却され、冷えて固まる時に作り出された玄武岩溶岩の厚い層が形成。その後、河川による侵食によって玄武岩塊がむき出しとなり、その割れ目(節理)が顕著で切り出しやすかった事から人々が採掘し、その採掘跡が洞窟として残されました。それが今日、目にする玄武洞です。
ここで切り出された玄武岩は周辺地域で漬物石や石材として使われており、現在でも城崎温泉の大谿川護岸や豊岡の石積みなどで見ることができるとか。確かにれ程綺麗に整った岩石が採取できるのは、魅力だったかもしれません。
もちろん公園内の敷石にも使われていますが、それは天然記念物指定の前に整備されたものなので、今はそういった事には厳しい規則があるようです。
ちなみに私が歩いている踏み石には、ハートの形の玄武岩もあったらしいのですが見つけられませんでした。っていうか・・柱状節理の玄武岩でハート型って無理があるように思うのですが😅。
ちなみに、現在こんな風に玄武岩を採取していいのは、日本広しと言えども「玄武岩の玄さん」だけ。良い子は絶対に真似しないように😆
一番の見所である玄武洞の洞窟内では、柱状節理によって亀甲状の天井や、5~8角の石柱がみられるそうですが、もちろん現在は立ち入り禁止の為、遠目で見るのみ。
六角形の無数の玄武岩が積み上げられた不思議な美しさ・・江戸時代後期の文化4年(1807)、幕府の儒学者『柴野栗山』がここを訪れた時、その様が伝説上の動物「玄武」の姿に見えることから「玄武洞」と命名。
明治17年に岩石の日本名を定める際、東京大学の『小藤文次郎博士』が「玄武洞」の名から、この岩を玄武岩と命名したそうで、洞窟が岩の名前の由来だったとは、初めて知りました。
昭和6年(1931)2月20日、「玄武洞」は国の天然記念物に指定され、周辺地域一帯は、昭和38年(1963)に山陰海岸国立公園となり、現在に至っています。
玄武は中国の想像上の動物で、四方を守護する「四神獣」の一つ。北方を守護する水神は、長い脚と蛇の尾を持つ亀に似た「玄武」。名付けた人物が目にした景色は、私たちが目にしている景色と同じものだったのか・・興味は尽きません。
四神獣の一つで五行説における西方の白虎から名づけられた「白虎洞」。既に命名されていた「玄武・青龍」に因んで採用された命名でしょうか?
とはいえ、白虎洞の中央部分、あの縦に伸びる節理の部分が、ちょうど虎の背のように見えるのが凄いです。
🌸同じく四神獣は水を司り天翔ける東の青龍。鳳凰とも呼ばれる南の朱雀。明日は青龍洞・南朱雀洞、北朱雀洞の紹介です。
訪問日:2014年11月21日