車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

旧秋田商会ビル in 山口県下関市南部

2024年03月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

下関市南部・唐戸地区には当ブログ作者(私)垂涎の、歴史的建築物が幾つか残されています。2012年、2017年、二度の下関訪問で目にする事が出来た素晴らしい建物たち。忘れ難い旅の記憶です。

下関市南部、道路に面した一画に、ひときわ目を引くモダンな塔屋の「旧秋田商会ビル」。

木材取引中心の商社活動と海運業を営む秋田商会の事務所兼住宅として大正4年(1915)に竣工。施工は大阪の駒井組。現場監督は関門商事に勤める新富直吉。設計者は西澤忠三郎。和風建築部分は京阪神で活躍していた宮大工の後藤柳作と推測され、西日本で最初の鉄筋コンクリート造の事務所建築。

地上3階、地下1階、塔屋付き、塔屋に設けられた螺旋階段で上る屋上には日本庭園。お庭を見ながらくつろぐ茶室兼離れ座敷・・と、和洋折衷のユニークなつくりで、現存する同種建築物としては最古級と言われています。

かって事務所として使われていた一階フロア。現在は下関観光情報センターとして一般開放されており、屋上以外はほぼすべての建物内部の見学ができます。

明治38年(1905)、秋田寅之介によりに設立された秋田商会。国内や満州、台湾など25カ所に支店・出張所を開設。建築用の木材や食料などを運搬して莫大な資産を築き上げた人物。胸像の顔は、Wikiで見る写真よりもずっと柔和で、穏やかな笑みさえ浮かべて見えます。

こちらは何時の時代のお写真でしょうか。秋田家二代目当主のご案内で興味深く周囲をご覧になる昭和天皇。その影を踏まないようにと三歩下がって後に続かれる香淳皇后。私の知らない時代の古き良き・・そして美しいお二方のお姿に思わず目頭が・・・

こちらの写真は「竣工当時の秋田商会」。初めてこの建物を見た時、町の人たちはさぞかしビックリした事でしょう。

秋田商会の社章「一文字三星」紋が染め抜かれた法被。これって毛利家の家紋と一緒だねと思ったら、まさにビンゴ(笑)。どんなコネがあったのか、それともトラック一杯分の袖の下を用意したのかヾ(- -;)□  毛利家から許可を得て社章として使用していたそうです。

ご亭主殿の一押しは、手動式エレベーター「ダムウェーター」。屋上や2階・3階の各部屋に料理や小荷物などを運んだそうです。それにしても大正4年の建築で既にこうした設備を備えられるとは・・・富豪階級の凄さを実感するご亭主殿😆

何を見ても、どこを見ても目移りする素晴らしさに出るのは感嘆の溜息。鏝絵が施された漆喰壁、嵌めこまれたアメリカ製の時計のモダンさがひと際引き立ち、まずはここで大きく感嘆の溜息(^^;) さらに1915年に嵌めこまれてから2017年の今日まで、一度も止まった事がない・・と言う事は102年間!!と、今度は驚愕の溜息(◎_◎;)

小心者の二人は階段を上る時も足音を消して、そろり・・そろり(^_^;)

外観からは想像しがたい、しっとりと落ち着いたたたずまいの座敷。座敷というより大広間。こんな場所に座るにはもう少しフォーマルな服装が良かったかも?、今度来るときは羽織袴を持参しようか(笑)

2012年・・記念の写真に快く応じて下さった受付の方。その節は色んなお話を聞かせていただき有難うございました。

2017年の来館では、全体像を見るには一段高く離れた場所から・・と言う事で、教えて頂いた唐戸交差点の歩道橋の上から。なるほど、ここからだと屋上の離れがちゃんと見えました。

下関市内の素敵な歴史的建築物、明日に続きます。

訪問日:2012年11月15日&2017年12月3日

 

コメント (4)
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