旧下関市(しものせきし)は本州の最西端に位置し、美祢市、山陽町、菊川町、豊浦町、更に関門海峡を挟んで福岡県:北九州市に隣接します。
市内長府地区は、かって長門国の国府であった事から、和同開珎の鋳銭、大内氏の滅亡、近代においては、四国艦隊下関砲撃事件、功山寺挙兵など多くの歴史を有しています。また下関港周辺は、古くは「赤間関(あかまがせき)」と呼ばれ、これを赤馬関とも書いたことから「馬関(ばかん)」という別名も用いられました。古くから関門海峡に面する港湾都市、大陸への玄関口として栄え、また、日本最大のフグの集積地としても有名です。「市の木:クスノキ」「市の花:ハマユウ」「市の鳥:ツツジ」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により赤間関区の一部(六連島・彦島を除く)23町1村をもって市制を施行。赤間関市が発足。
豊浦郡豊東下村・生野村・彦島村・長府村・豊西中村・豊西下村・豊東前村・豊東上村・豊田奥村・豊田上村・豊東郷村・清末村・小月村・西市村・安岡村・小月村が発足。
1898年、豊東下村が改称して生野村に。豊東前村が改称して王司村に。豊東上村が改称して勝山村に。豊西東村が改称して黒井村となる。
1899年、豊田奥村が改称して西市村に。豊東郷村が改称して楢崎村となる。
1902年、赤間関市が改称して下関市(第1次)となる。
1910年、豊西中村が改称して豊浦郡安岡村となる。
1911年、長府村が町制を施行、長府町となる。
1912年、豊田上村が改称して殿居村となる。
1914年、豊西下村が改称して豊浦郡川中村となる。
1921年、彦島村が町制を施行、豊浦郡彦島町となる。
1921年、下関市が生野村を編入。
1922年、豊西上村が改称して吉見村となる。
1924年、西市村が町制を施行して西市町となる。
1925年、安岡村が町制を施行して安岡町となる。
1932年、小月村が町制を施行して小月町となる。
1933年、 下関市が彦島町を編入。
1937年、下関市が長府町・安岡町・川中村を編入。
1939年、 下関市が小月町・清末村・王司村・勝山村・吉見村を編入。
1954年、下関市が豊西村大字吉母・蓋井島および室津上の一部を編入。
1955年、下関市が王喜村、吉田村、内日(うつい)村を編入。
マンホールには「下関市シンボルマーク」がデザインされています。
下関水道局のペットボトル水「あぁ!関露水」のデザインストリーマーマンホール。
左上に、内日第一貯水池:取水塔。 右上に、高尾浄水場4号円形ろ過池付設調節井。 下に高尾浄水場の全景のデザインストリーマーマンホール。
明治42年(1909)11月15日制定の市章は「「関」の字をヒシ形に図案化した ものです。」合併協議会資料より
下関シンボルマークがデザインされたプレート付き側溝蓋。
「市の花:ツツジ」がデザインされたプレート付き側溝蓋
関門橋がデザインされたプレート付き側溝蓋
下関市に本社を置く「山口合同ガス」蓋。上部に社章。下関市、山陽小野田市、宇部市、防府市、山口市、周南市、下松市、光市にガスを供給。
撮影日:2012年11月15日&2017年12月3日