車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 山口県旧小野田市(山陽小野田市)

2024年03月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

旧小野田市は山口県の南西部に位置した市です。宇部市、山陽町に隣接。明治維新後、セメントを中心とした工業都市として「民間セメント会社発祥の地」として栄え、隣接する宇部市と共に、北九州工業地帯の一角を担ってきました。市の中央を有帆(ありほ)川が流れて瀬戸内海(周防灘)に注ぎ、両岸をはじめとする平野部に市街地が開ける地形。平野部は干拓地が多く、市北部や宇部市との境は丘陵地帯となっています。「市の木:クスノキ」「市の花:菊」「市の花木:ツツジ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により須恵村が発足。。

1920年、須恵村が町制を施行・改称して、小野田町になる。

1940年、小野田町と高千帆町が合併、市制を施行し小野田市となる。

2005年、山陽町と合併、山陽小野田市となりました。

マンホールには小野田セメントの「徳利窯」ろ、「市の花木:ツツジ」がデザインされています。

山陽小野田市役所別館:展示マンホール

国重要文化財:旧小野田セメント製造株式会社竪窯「徳利窯」

「江汐公園のつり橋(名称・江汐湖橋)」と「市の花木:ツツジ」がデザインされたマンホール。

山陽小野田市役所別館:展示マンホール

小野田西地区集落排水マンホールは、中央に農作業をする女性、周囲に稲穂がデザインされています。

「市の花木:ツツジ」がデザインされた若山公園のマンホール

「若山公園」は、小野田セメントの創設者である笠井順八翁の元私庭。園内には「笠井順八君公徳碑」や忠魂碑などが建立されています。

「日露凱旋記念碑」

「忠魂碑」

昭和16年5月10日制定の市章は「小野田市の「小」をかたどり、中央は煙突を、翼は鳩のはばたきを意味し、躍進平和工業都市を象徴しています。」合併協議会資料より

防火水槽

「セメン樽」と「市の花木:ツツジ」がデザインされた消火栓

「セメン樽」と「市の花木:ツツジ」がデザインされた空気弁

「徳利窯」と「市の花木:ツツジ」、周囲に「セメン樽」がデザインされた仕切弁。

「徳利窯」と「市の花木:ツツジ」「セメン樽」がデザインされた仕切弁。

「徳利窯」を「市の花木:ツツジ」で包み込んだ仕切弁

セメン樽が描かれた歩道タイル

撮影日:2015年11月12日&2017年12月2日

 

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