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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

児玉(こだま)神社 in 山口県周南市児玉町(旧徳山市)

2024年05月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

周南市(旧徳山市)児玉町に鎮座される「児玉(こだま)神社」。御祭神は『児玉源太郎命』

由緒「周防徳山藩の藩士として生まれた祭神の出生地の縁により、大正11年(1922)、その徳を偲ぶ地元有志の発起によって児玉家の旧宅跡に江ノ島児玉神社の神殿を移築して創祀。昭和8年(1933)5月16日に県社に列する。」境内案内より

「児玉源太郎陸軍大将」

拝殿前左右より神域を守護されるのは、大きな目がとってもユニークな昭和八年(1933)奉納の狛犬さん一対。傘寿を超えたばかりの、狛犬界ではまだまだヒヨッコさん🐤

『後藤新平』の筆による「徳足以懐遠( 德足りるを以って遠くを懐かしむ )」。大正7年建立。

児玉源太郎の薨去を悼み、祭資を賜いて弔慰すべき旨、御沙汰書きとして明治天皇により発布された「御沙汰書」

「山縣元帥の児玉大将の死を惜しまれたる歌」【 越えはまた 里やあらむと頼みてし 杖さへ折れぬ 老いの坂道 】

国立台湾博物館が所蔵する新海竹太郎作の像を基に制作された「児玉源太郎像」。台湾産業の育成や学制の充実などの融和政策で台湾と台湾人の為に貢献した証として李登輝氏が児玉源太郎に贈った言葉「浩気長存(浩然の気は永遠に不滅である)」の碑。

「日本帝國褒章之記 山口縣華族 兒玉ヒサ」。児玉源太郎の叔母である久子は、子弟の教育と仏道に帰依して報謝の生活を送り、昭和三年(1928)六月二十三日に、八十六節婦として緑綬褒章を受章した旨、後藤新平の揮毫で記されています。

後藤新平「児玉神社参拝記念碑」

「徳山七士碑」「贈従四位碑」

「元治元年(1864)禁門の変の直後、徳山藩でも恭順派と主戦派とが激しく対立し、同年8月9日夜、主戦派10数人は恭順派の藩士の住居を襲い、これをきっかけに恭順派は、主戦派の河田佳蔵、児玉次郎彦、本城清、江村彦之進、浅見安之丞、信田作太夫、井上唯一の7人を捕らえて、処刑・暗殺しました。この7人は、「徳山七士」「殉難七士」「勤王七士」とも呼ばれています。」現地案内より

「勤王七士之碑」「兒玉将軍旧邸」

「台湾五葉」 「台湾総督として台湾の近代化に尽力した児玉を顕彰するため、大正14年(1925)に台湾五葉の幼木数本が台湾から取り寄せられ当社に植えられた。」現地案内より

「慰霊碑」

参拝日:2015年11月15日

🌸明日は周南緑地公園 にある「万葉の森:文学碑」などの紹介です。

コメント (4)
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