郡山市清水台に鎮座される「安積國造(あさかくにつこ)神社」。御祭神は『和久産巣日神(わくむすびのかみ)・天湯津彦命(あまのゆつひこのみこと)・比止禰命(ひとねのみこと)・誉田別命・倉稲魂命』。
「成務天皇5年(AD327)、勅命により安積国造に任ぜられた比止禰命は、安芸国より当地へ赴任。国を開くにあたり、赤木山に社稷(しゃしょく)の神として和久産巣日神、天湯津彦命を祭り、四方八丁の稲城(いなき)を築いた。安康天皇2年(455)、赤木山の社稷に合祀され、国造神社と号した。延暦年中(782~806)、坂上田村麻呂、東征の際に宇佐八幡大神を合祀。永承年中(1046~1053)、源頼義東征の折に戦勝祈願し「幕内」の地名を付す。寛治元年(782~806)、源義家東征の際、神領を寄進。天和3年(1683)、八幡大神が赤木山の国造神社から、稲荷大神が安積伊東氏古城内から清水台へ奉遷。明治5年(1872)、国造神社が清水台へ奉遷、3社を総称して安積国造神社と号した。」公式HPより
文化7年(1810)再建の拝殿、市内では数少ない江戸時代の建築。
鳥居前左右より神域を守護されるのは、玉を取る阿形さん。仔狛を遊ばす吽形さん。仔狛の丸っこいお尻がこの上なく可愛い😍
が、可愛さはそんな物じゃない。私たちもこの狛犬さんを見た時は思わず歓声を上げたほど😆😆 背中によじ登って得意げに下の仔狛さんAを見おろす仔狛君B。悔しそうに見上げる仔狛をなだめるように背中を叩く親狛。この構図、関西や上信越などでもたまに目にしますが、どれも文句なく可愛い💛
まるで見守るような眼差しの阿形さん、人の世界も神獣の世界も、親子の情愛は同じなのかも知れません。
拝殿向かって左に「白王稲荷神社」
稲荷社の石鳥居前左右より神域を守護されるのは、稲荷の眷属とされる神狐さん一対。何百という神狐さんを見てきました、こんなに優しいお顔の神狐さんは初めてかもしれません。
阿形さんの前足に縋りつく子狐さん、吽形さんの腹の下でうずくまる子狐さんですが、左前脚の空間がかなり気になります。ともあれ、阿吽ともに子狐さんを連れているのは、ちょっと珍しいタイプ。
吽形さんの前足に縋って、しきりと何かをねだる風情の仔狐さん。
おねだりの理由は、吽形さんの背中によじ登って得意絶頂の子狐さん。開ききった後ろ足の可愛さ、得意げに揺らす尻尾。狛も狐も、むろん人の子も、子供の心理は同じようです😊
白王稲荷神社に奉納された「高遠の透かし灯籠」。高遠の石工が造ったもので、明和7年(1770)に高遠の商家によって奉納されました。
神楽殿に奉納された『天宇受売命(あまのうずめ)』の神楽面。
笛に太鼓・・懐かしい神楽囃子が耳に聞こえてきそう。
三の鳥居正面に鎮座する「安積発祥」の碑と磐座。
「安積艮斎(あさか ごんさい)先生」像と「昌平黌教授贈従四位昆斎安積先生誕生地」碑。「第55代宮司安藤親重の三男。二十四歳で江戸神田駿河台に私塾を開き門弟を教育。小栗上野介、岩崎彌太郎、前島密、吉田松陰、高杉晋作、木戸孝允、吉田東洋、秋月悌次郎・・・門人は二千二百八十余名に上る。」私の知る名前も多く登場します。
安積艮斎先生のイメージイラストが描かれた絵馬。
参拝日:2015年6月25日
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御神名一口メモ
『和久産巣日神(わくむすびのかみ)』、伊邪那美神の子、豊受大御神の父。
『天湯津彦命(あまのゆつひこのみこと)』、邇芸速日命が天磐船で河内国に降臨する際に従った。
『比止禰命(ひとねのみこと)』、天湯津彦命の10世孫。阿尺国造(あさかのくにのみやつこ)に任ぜられ、阿尺(安積)の国を開いた。