本宮市和田東屋口に門を構える「岩角寺」。境内となる山中のいたる所に露出した花崗岩の巨石や奇岩には、線刻された西国三十三観世音や菩薩などが参拝者を迎え、一種独特の仏の世界を作り出しています。二日目の今日は県の重要文化財にも指定された「毘沙門堂」の見事な彫刻の技を紹介します。
懸魚(げぎょ)には翼竜
向拝(こうはい)には波を逆立て、身をくねらせる龍
龍の上では剣を逆手に持って構える若き武神・・これは素戔嗚尊でしょうか?
更に上の段には怯えるように身を竦める女人。上とセットであるなら、さしずめ櫛稲田姫・・
「毘沙門天」の拝殿額。向かって左には蚕の繭額が奉納。ここよりさらに上には『養蚕観世音』が安置される「観音堂」もありますが・・・・足もとが妖しい😓
無理なものはスッパリと諦めて、寺社彫刻の花形的存在ともいえるのが貫(ぬき)の獅子。口中の朱が白い木肌に凄みを与え、更に柱を押さえつける前足の力強さに圧倒されます。阿形さんは開いた牡丹を口に。
吽形さんはまだ固い蕾の牡丹を口に咥えて、参拝者(私たち)の賞賛の視線を得意げに浴びています。
別の一画の獅子と獏(ばく)。位置的に下から見上げる画像になりましたが、獏の牙と、きゅっと縮めた爪の鋭さに思わずタジタジ。
獅子の顔立ちから、これを彫り上げたのは、先の唐獅子とは別の職人ではと想像。
波頭渦巻く中を往く龍の透かし彫りに思わずタメ息がもれる、見事な海老虹梁(えびこうりょう)。
龍をアップで。何百回と繰り返した言葉ですが、すべて一本の木を彫りぬいて造られたものです。
手挟彫刻には、絢爛たる花の中に遊ぶ番(つがい)の雉。いや、それとも鳳凰か?。
屋根の四隅を支える力神、片側はほぼ真っ直ぐに、もう一方の腕は肩越しに後ろ手に。あるいは、首と肩だけで屋根の重みを支える。
両の腕を肩越しに後ろにまわし、歯を食いしばる者。同じように両の腕を後ろ手に、屋根を支えながら大きく息を吐きだす・・これもやはり阿吽の容。
明治十八年(1885)正月初寅日:奉納の絵馬。題材が分かれば面白さも増すのでしょうが、生憎と勉強不足😓
神社に狛犬は付き物ですが、お寺さんにも尊像を守護される神獣がいます。毘沙門天のお使いとされるのは「虎」。虎は一晩で千里の道を走ると言われ、毘沙門天の代わりに人々の願いを聞いて回ると伝えられています。
阿吽の一対、後姿も中々に見応え充分。
・・・・で????😆
参拝日:2015年6月25日
末筆になりましたが、この度の能登の豪雨災害、心よりお見舞い申し上げます。「能登は優しや土までも」・・・懐かしい幾つもの風景、温かい人々との思い出・・・私たちにできることは限られていますが、今は懐かしくも美しい能登の風景と、そこに住まわれる皆様方の無事を心から祈念させて下さい。
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一口メモ
用明二年(587)、仏教推進派の蘇我氏と反対派の物部氏との戦いに際し、戦勝を祈願した聖徳太子に、寅年、寅の日、寅の刻に毘沙門天が戦勝の秘宝を授け、見事勝利したという伝承があり、以来、虎は毘沙門天のお使いとされる。