中山道:江戸から数えて56番目の宿場「赤坂宿」、美濃国不破郡赤坂村(大垣市)に所在し、美江寺・垂井間の宿駅として栄えてきました。川を交通の手段としていた明治30年(1900)の初期には、川港の赤坂港には500艘を超える船が往来したといわれます。
その赤坂の中心地:中山道と谷汲街道の交差点に建つ「赤坂港会館」。はじめて目にしたとき、なんて私好みの綺麗な建物と思わず小躍り😍
建物は明治8年に建てられた岐阜県警察第2区大垣出張所の第5分区屯所を復元したもの。典型的な明治初期の疑洋風建築でしたが、痛みが激しく修復が困難なため、外観を復元し「赤坂港会館」として建設されました。
頂上装飾が載り、仕上げは大壁塗りで、隅は石張り形式。建具にはガラス戸や鎧戸を配した、まさしく憧れの明治期の疑洋風建築。失われてしまった事は残念ですが・・
それでもこうして復元された建物が美しいことは事実、思わずシャッターを押し続けていて、ふと、傍らに鳥居を発見。「浅間神社」の社号標があります
『木花咲耶姫』をご祭神とする「浅間神社」。創建年紀は不詳、元「浅間権現社」とも称し、古来より「富士の宮」として親しまれていました。
文久元年(1861)、皇女和宮が降嫁の途上で赤坂宿に宿泊した際には、これに備え「お嫁入り普請」と呼ばれる家の建替えや新築が行われたと言われる赤坂宿。今もこの界隈には、当時の様子を偲ばせる建物が残されています。
「左 禅蔵寺道」と刻まれた道標、「左 たにくみ道」と刻まれた道標、いずれも中山道の賑わいを今に伝える史跡といえるものでしょう。時間が有れば、赤坂宿らしい町並をもう少し丁寧に歩いてみたかったのにと・・相も変わらずの愚痴😩
訪問日:2012年5月14日
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