車泊で「ご当地マンホール」

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朝日村の道祖神:石仏~Ⅰ~ in 長野県朝日村

2022年09月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

「昔から道祖神は、村を守ってくれる神様、そして村人、一人一人の願いを聞いてくれる神様、特に子供を大事にしてくれる神様、そして作神様として建てられたようである。呼び名は、昔は「どうろくじん」と言われることが一般的であった。三ヶ組の小和田には道録神と刻まれた宝暦13年(1763)建立の碑がある。他にも道陸神、道六神などと刻まれたものもあるようである。子供はまた「どうそんじん」とも言った。また「さえの神」「さい(塞)の神」ともいい、村へ悪霊や疫病を入れないようにしてくれる神様とされた。」朝日村の道祖神より

朝日村芦之久保の神明山麓に「芦之久保の抱肩握手像」と呼ばれる「握手肩抱き双体道祖神」一基、「仏塔」「文字碑」等六基。

「正徳五乙未年十月卯日建之  寛政七卯年八月六日夜  小坂村山口御縁想同歳十一 月十三日再建立  天保十三壬寅年二月七日夜 本洗馬村上村御縁想  天保十四癸卯年(1843)四月十五日 古見村蘆野窪講中 (右裏)」の刻。

現代的な顔立ちの男女神。男神はしっかりと女神の手を握り肩を抱き寄せていますが、女神は照れ臭いのか少し取り澄ました顔で前を見ています。

「庚申仏塔」

朝日村上吉見の古川寺道入口に「上古見の抱肩握手像」と呼ばれる「彩色:握手肩抱き双体道祖神」二基。彩色道祖神はあまりにも個性が強すぎて、それが逆に没個性になってしまう気がして少々残念に感じます(^^;)

「性祖造立天正寛文歴再建□□ 累年晒 落風雨不鮮預故 正徳五末年再建殊 不在 震氷解雖然發主欲望貰之 而縁 賀祥況以清粧? [石に盤] 再興 弘化三丙午年(1846)八月 上古見村南庄 」の刻。

「性祖造立天正寛文再建□□ 累年晒落 風雨不鮮預故 正徳五末年再建殊不有 震冰解因茲再興之 弘化三丙午 八月 上古見村澤庄正徳建之花見新 田好貫之 好貰矣高石工片四」の刻。

朝日村入三御道開渡入り口に「御道開渡の抱肩握手像」と呼ばれる「握手肩抱き双体道祖神」一基。他「庚申塔」「文字碑」「仏塔」等数基。

「寛政十二庚申(1800)八月吉日 村中 」の刻。摩耗が進み、その姿は定かではありませんが、肩にまわされた手、繋ぎ合う手に愛しさが感じられます。

朝日村針尾大石原に「大石原の祝言跪座像」と呼ばれる「祝言跪坐双体道祖神」一基。「大石原の抱肩握手像」と呼ばれる「握手肩抱き双体道祖神」一基。

「天保四巳(1833)三月 針尾中村」の刻。

摩耗が進んでいますが、酒器を持ってひざまずく女神の仕草は美しく、晴れがましく微笑む男神の表情は端正で、まさにお似合いの二人。

「嘉永二酉(1849)六月 清沢儀右ヱ門 」の刻。

ふくよかな顔立ちの男女神。しっかり手を握る男神の手に自分の手を委ねる女神の表情が、何とも素朴で微笑ましく愛らしい。

祠の内に祀られるお地蔵様には暖かそうなセーターと帽子が着せられて、かなりふくよかになっていますね(⌒∇⌒)。

朝日村の道祖神~Ⅱ~に続きます。

撮影日:2016年4月23日

 


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