車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

日原天満宮(春日神社)・奴道中 in 島根県津和野市日原

2018年09月15日 08時00分00秒 | 日本の祭り

毎年11月第2日曜日に開催される「日原天満宮の奴道中」は、御祭神である『菅原道真』の鎮魂を願って始められたといいます。 平安時代の貴族であった菅原道真さんと、江戸時代における大名行列の「奴道中」がどう結びつくのかはさて置き、時刻は午後一時少々・・いよいよお行列の姿が見えてきました。先頭は伊勢音頭に合わせて長持ちを担ぐ雲助さん。鮮やかな向日葵の心葉(こころば)で飾られた長持ち、中に納められているのは何でしょう??

祭りは、午後1時過ぎに神霊が宿った御神体などを神輿に移して、御幸する「御神行(ごしんこう)」がスタートして、そこから「長持ち」「大行事」・・・とお行列が続きます。

「大行事」「小行事」は天満宮の御神幸に奉仕するもので、御神幸の先導を勤める役。

「御神幸の神輿」。「御神幸」をお運びするのは軽トラック。人手不足を嘆いても何も解決しません。文明の利器は上手に使えばよいのだと妙に納得したシーンでした。

続いて「大弓」「小弓」を肩に担いだ人たちが、何とも不思議な足運びの所作を見せて続きます。こうした一つ一つの所作は、ある意味、お行列の見せ場とも言えるもの、出来ることなら動画で残したいくらいです。

その後に「鉄砲、太刀、摺箱」と続くのですが、ついつい皆様の所作に見とれて写真は今ひとつ(笑) それでも実際に見た私たちには、こんな写真でも当時のワクワクが完全によみがえって来るのです。

そして奴の行列!揃いの前垂れに大きく染め抜かれた「釘抜紋」。が鮮やか!!。ちなみにお豆腐を「やっこ」とか「冷奴」と呼ぶのは、この「釘抜紋」がネタ元なんですよ。江戸時代中期以降、豆腐を大き目の四角に切ることを「奴に切る」などと言ったそうですが、これは、奴の衣装につけられた紋が、白く真四角だった事からで、意味が分ると「なる程!」

「摺箱」を担ぐ奴に続いて、大きく両手を広げて続く奴。

ついつい話が脱線してしまいましたが、とにかく独特の「ふり」をつけて歩く奴の皆様、本当に最高! 

お行列は時折休息を挟むのですが、つかの間の時間にピースサインと笑顔で記念写真に一緒に収まって下さった奴の皆様、もうどんなに嬉しかったか(〃∇〃)

そうしてしばしの休息の後、厳かに軽やかに奴行列は続きます。

祭りの手順も役回りも全く不勉強なままで、私たちはとにかく奴道中の追っかけに徹し(笑) 決められた手順に従って毛槍を振る所作、軽妙な足捌きとともに大きく円を描く白・黒の鳥毛。エトセトラ・・エトセトラ

私達の周りに陣取るのはみなさん地元の方、中にはお母さんに抱かれた小さなお子さんが、奴になったお父さんに手を振っています。そう!私たちはこれが見たくて、観光用ではない本物の神事が見たくて、ここまで来たのです。

華やかな一団は、揃いの千早に緋袴、日原町の花:向日葵の心葉(こころば)の子供巫女さんたち。ブログに乗せても良い?と聞くと、カメラに向かって仲良くピースをしてくれました。足元のクロックスが、何とも愛嬌(笑)。

こちらは長持ちを担当された雲助さん。写真をお願いしたら笑顔で肩を組んで下さいました。 こんなに身近に人と触れ合え、神事でありながらも、人の繋がりを感じさせてくれた「日原天満宮の奴道中」

最後の時間まで見続けたかったのですが、旅の途中の二人にはどこかで切り上げる時が必要なのです。車の中から身を乗り出して見送った奴道中の後姿に・・素晴らしい時間を有難うございました!!

約150年の歴史を持ち、祭礼行事と参勤交代の特徴を今に伝える「日原奴道中」。天満宮祭の要素を伝承する民俗行事として2018年3月22日、津和野町無形民俗文化財に指定されました。

文中に登場する「心葉(こころば)」は、挿頭(かざし)としてつける造花の事です。

訪問日:2012年11月11日

 


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