鳥取市気高町宿に鎮座される「志加奴(しかぬ)神社」。御祭神は『大己貴命・素盞嗚尊・少彦名命・保食神』。
「創祀年代は不詳。「延喜式(927神名帳」に所載される古社で、気多郡内式内社五座のうちの一社。古くから山の宮と里の宮があり、山の宮を「志加奴神社鷲峰大明神」、里の宮を「志加奴神社勝島大明神」と称した。明治元年、社号を「志加奴神社」に改め、境内末社・稲荷神を合祀。明治五年郷社に列し、大正五年、小林神社、樽間神社、山崎神社の三社を合祀して上坂神社とし、次いで、青木神社を本殿に合祀。」境内由緒等より
木漏れ日の中に続く石段・・・長いがそれほど急ではないのが救い(^^;)
一の鳥居には「明治二十六年(1893)癸巳一月吉日」「鳥取市 石工 曻一」の刻。
鳥居の内より神域を守護されるのは、川六最後の作品となった出雲構えの狛犬:吽形。
「元治元年(1864)甲子五月 北河原村 川六作」の刻。
翌:元治二年(1865)十二月十一日、『尾崎六郎兵衛』没す。生年不明。戒名「鑿巌良巧信士」。
心より哀悼の意を込めて、優しくもキュートな後ろ姿~💗
阿形さんは居ないのかと驚かせしまいましたが・・・阿形さん、「明治廿四年(1891)九月暴風之為破損 三十三年(1900)九月再築寄進 土居村中」、「再刻 曻一」の刻。お名前から、鳥居を建立された石工さんと同一人物と思われます。
川六さんの特徴が見事に再現された顔貌。二人とも帰宅して改めて刻字を見るまで全く気が付きませんでした(悔)。
鳥居の先に隋神門。
随身門の内より神域を守護されるのは、比較的新しいと思われる鮮やかな狩衣姿の随身様一対。
石段の先に境内、正面に入母屋造平入、唐破風向拝の拝殿
拝殿前拝所に奉納された扇形拝み石二基。左「大正六年(1917)十一月」、右「明治廿九年(1896)丙申三月吉日」の刻。
流造、唐破風向拝の御本殿。亀腹には「天明八(1788)戊申二月日」の刻。
境内右の小高い場所に大切に置かれた『石工 川六』の阿形さん。折からの木漏れ日の下で驚くほど鮮明に残された貴重な一枚。
流造の境内社
石段参道を下って帰路に。鳥居の側の鐘楼は、かってこの地に寺院があったのか、それとも本来ここに置かれていたものか・・戦時中に供出された梵鐘は、奇跡的に無事神社へ戻ったことから「開運の鐘」と呼ばれています。
鳥居の下、巨木の根元に置かれた手水鉢には「天保四年(1833)癸巳九月日」の刻。上から見ると八角形なのがよくわかる。
境内入り口、〆柱の前に置かれた自然石の手水鉢
参拝日:2012年4月18日
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