旧中村市(なかむらし)は高知県の西部に位置した市です。宿毛市、土佐清水市、幡多郡大正町・大方町・十和村・西土佐村・三原村に隣接。三方を山に囲まれ、南東を黒潮踊る太平洋に面した自然と、温暖な気候に恵まれた町です。市の中心部には日本最後の清流といわれる大河四万十川が流れ、市街地は四万十川と支流の後川にはさまれた形でひらけています。 また、四万十川をはじめとするゆたかな自然環境にも恵まれ、アカメ、クサマルハチに代表される貴重な動植物などが数多く生息。今から約500余年前、前関白一条教房公が応仁の乱をさけてこの地に下向し、京都を模したまちづくりを行ったことが今日の繁栄の基礎となっています。京都風のまちづくりの基本である碁盤目状の街並みや祇園神社・東山・鴨川などの地名に小京都としての名残があり「土佐の小京都」とも呼ばれています。「市の木:柳」「市の花:藤」「市の鳥:鮎」を制定。
1889年、町村制施行に伴い幡多郡中村が誕生。
1898年、町制を施行、改称して幡多郡中村町が発足。
1954年、中村町・下田町・東山村・蕨岡村・後川村・八束村・具同村・東中筋村・富山村・大川筋村・中筋村が合併し、中村市が発足。
2005年、幡多郡西土佐村と合併し、四万十市中村となりました。
マンホールには市章を中心に、「市の花:フジ」と「市の魚「アユ」がデザインされています。
昭和30年(1955)3月2日制定の市章は「中村の「中」の文字をデザイン化したもので、大鵬の飛び立つ様を表し、市政の発展を意味しています。」旧公式HPより
「制水辨」の旧漢字が使われた市名入りの制水弁。
撮影日:2013年3月23日
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旧幡多郡西土佐村(にしとさむら)は県西部の山間に位置した町です。南は高知県宿毛市、中村市、東は幡多郡十和村、 さらに北から西は県を跨いで愛媛県宇和島市、北宇和郡松野町・津島町に隣接。村の中央を四万十川が南流。平地は川の流域にわずかに見られる程度で、峡谷型の純農村。村の面積の91%を森林が占め、良質の木材を産する事で知られています。「村の木:ヒメシャラ」「村の花:ツツジ」「村の鳥:カワセミ」を制定。
旧キャッチフレーズは「星の郷 森の郷 川の郷 西土佐村へようこそ」
明治22年(1889)、町村制の施行により幡多郡江川崎村(えかわさきむら)・津大村(つだいそん)が発足。
1958年、 江川崎村、津大村が合併し、幡多郡西土佐村が発足。
2005年、中村市と合併、四万十市となりました。
昭和38年(1963)4月1日制定の村章は「「西(West)」・「と」を図案化したものです。」
(※)旧幡多郡西土佐村では、ご当地マンホールの類は見つけられませんでした。
しかもどちらもバイクタンデム(^^;)
更に友人夫妻には、両親に二人のお子様が夕飯を待ってるので、ゆっくりは無理で。
でも十分すぎる程楽しんだ一日でした(⌒∇⌒)
17年前は私たちも若くて、バイクタンデムでいろんな場所に行きました。
車が苦手だった私にとってバイクの後ろ席は特等席だったんです。
私が病気になるまでは、随分とバイクタンデムを楽しみました。
今でもあの当時を懐かしく思い出します。
このなばなの里の、私どもの本命はイルミネーションでした。
日本3大イルミネーションのひとつで、本当に堪能したのです。
昼間、園内の花々と温室を回り、確か足湯の場所もありまして、疲れた足を休ませられ、夕方からの点灯迄待機しました。
温室の優しいフクシアの色合いも見せて頂きました。
夫も若く!15年以上前!には、長距離運転ができたんですよ。
私も若かった!お婆ちゃんではなくお姉さんてことはなくも(笑)おばさんでした(笑)
今も、どちらも運転しますが、夫の高速道運転には同行は!いやです(笑)
一般道なら私の運転のほうが安全です。夫より私は若いので。
ということで、お教えいただけ感謝。
また、だんだんに見せて頂きますね。有難うございました。
お教えいただけ感謝。
私のほうのコメ返、と、こちらの記事、
後でコメント書きますね。 取り急ぎ(;^_^A