喜多方市熱塩加納町熱塩字前田丁に残る「旧国鉄日中(にっちゅう)線 熱塩(あつしお)駅」。
昭和13年(1938)、耶麻郡喜多方町:喜多方駅と耶麻郡熱塩村:熱塩駅を結んで開通した日中線。喜多方・会津村松・上三宮・会津加納・熱塩の5駅を結ぶ11・6キロメートルの路線で、終点熱塩駅の奥にある「日中温泉」が路線名称の由来とされます。
昭和58年(1983)の末期には列車は1日に三往復、乗降客も少なくなり、昭和55年(1980)の日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)施行により第1次特定地方交通線に指定。昭和59年(1984)4月1日に全線廃止となり、開通から46年にわたる役目を終えました。
駅舎はひどく荒廃していましたが、廃止から1年後の昭和60年(1985)に整備され「日中線記念館」として公開。館内には日中線に関する資料等が展示されています。
さらに2009年には、経済産業省の「近代化産業遺産群 続33(東北開発)」の一つとして、近代化産業遺産に認定。待合室のベンチや切符棚、運行当時の写真などさまざまな品が展示されており、思った以上に興味深い内容でした。
当時の場所に今もそのまま残されている「踏切」
最終駅だっ熱塩駅には、車体をUターンさせる為の「転車台」が設置されていました。
また構内にはラッセル車や客車も静態保存されており、鉄道ファンにはワクワクする景色を作り出しています。
ラッセル車の前にある二つの丸いもの、実はあれ、国鉄時代には「A寒地仕様」と呼ばれた酷寒地向けのワイパーなんです!!。降りかかる雪を高速で回転して振り飛ばす・・・・。雪国育ちでない二人には、驚きの発見でした。
改札を潜る時の何とも切ないような、ドキドキするような気持ち。それは電車を待つ時の状況によって様々に形を変え、懐かしい過去を思い起こさせます。
誰が作ったものか・・ホームの片隅に設けられたブランコ😊 私たち以外の見学者さんはお一人だけだったのですが、懐かしそうにブランコに揺られていました。
お互いに記念の写真を写しあい、軽く挨拶を交わして別れてゆく・・廃線となった熱塩駅にはこれ以上ないほどの似合いの一時。
「日中線記念館の桜」。季節には桜祭りなども開催されるとか。その時期にはこの駅舎一帯も華やかに人で溢れるのでしょうね。
駐車場の一画にあった「天神清水」。汽車の旅で降り立った人たちは、この冷たい湧き水で喉の渇きを潤したのでしょうか?
訪問日:2015年6月21日
おはようございます。
色んなものが展示されて
汽車好きな方々には
たまらない場所ですね!
汽車は走っていませんが
撮り鉄さんにも人気だそうです。
こうした歴史が残されていると
無条件嬉しくなるのが旅人の性ですね😊
「乗降客がいなくなり、全線廃線」
千葉県もそんな鉄道が増え、新聞が報道しています。人口減少のため、一つ、一つ過疎地が増えます。
「故郷の廃家」と言う歌がありますが、人の住まなくなった建物が草木に埋もれていく悲しみに胸が痛くなります。
それでもこの駅舎は、博物館として活用されているので救いがありますね。お祭りの時にはまだ賑わうと知り、嬉しくなりました。
「転車台」ラッセル車のワイパー、揺れているブランコ、「天神清水」など、貴方のコメントが「滅びゆくもの」の切なさを伝えます。
お二人の記念写真を、私も胸に残します。この写真だけが、生き生きとした現在を伝えていますから。
このような形で残されている
鉄道マニアでもオタクでも私たちには
かって「そこにあった姿」を拝見し
その事に無条件に喜びを感じます
心に残る懐かしい記憶として、
私も又、目に焼き付け胸に刻んでいます