幡多郡黒潮町(くろしおちょう)は高知県西南部に位置する町です。2006年3月20日、幡多郡佐賀町と大方町が合併して誕生しました。四万十市、高岡郡四万十町に隣接。美しい砂浜や磯が続く海岸線と緑豊かな山々が広がり、自然資源を活かした「ホエールウォッチング」「天日塩づくり」「カツオのタタキづくり」などの体験型観光と、土佐西南大規模公園を活用したスポーツツーリズムの推進により、県内外から多数の方が訪れています。また「私たちの町には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です。」をコンセプトに、4kmの砂浜を「美術館」に見立て、「美しい松原」や沖に見える「くじら」、流れ着く「漂流物」など全てを作品とした「砂浜美術館」があります。「町の木:黒松・オガタマ」「町の花:ユリ・ヤブツバキ」「町の鳥:しろちどり・メジロ」を制定。
キャッチフレーズは「人が元気 自然が元気 地域が元気」。
2006年9月6日制定の町章は「黒潮町の「黒」の文字を図案化したものである。グリーンは緑の大地を、ブルーは太平洋(黒潮)を、レッドは太陽を表している。豊かな自然に恵まれ、力強く元気いっぱいに、明るい未来を目指すイメージを表現している。」公式HPより
町の沖合いには体長12mもあるニタリクジラが1年を通して暮らしているそうで、町内のいろんな場所で「クジラ」を見かけます😄
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旧幡多郡大方町(おおがたちょう)は高知県南西部に位置した町です。四万十市、幡多郡佐賀町・大正町に隣接。北部仏ヶ森を頂点に南西部に太平洋(土佐湾)を望む扇形の町で、大半が山林で、農地は10%弱。南国特有の温暖な気候を活かして、早くから施設園芸や花卉、葉たばこ、水稲を中心に栽培が行われてきました。また「獲る漁業から、作り育てる漁業へ」として沿岸沖合海域を中心とした漁場の再開発や稚魚の放流などを推進し、水産資源の確保に努めています。「町の木:黒松」「町の花:ユリ」「町の鳥:しろちどり」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により、幡多郡田ノ口村・入野村・七郷村・白田川村が発足。
1943年、田ノ口村、入野村、七郷村が合併、幡多郡大方村が発足。
1943年、大方村が町制を施行、幡多郡大方町(第1次)が発足。
1956年、白田川村と合併、幡多郡大方町(第2次)が発足。
2006年、幡多郡佐賀町と合併、幡多郡黒潮町となりました。
農集排のマンホールには、中央に蛇行する「蜷川」と、川にすむ生き物たちがデザインされています。
昭和40年(1965)10月1日制定の町章は「「大方」を図案化したものです。」
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旧幡多郡佐賀町(さがちょう)は高知県南西部に位置した町です。高岡郡窪川町、幡多郡大正町・大方町に隣接。町の中央部を伊与木川が流れその流れを右手に見ながら国道56号線を南下すると太平洋が姿を見せます。町の中心部には日本一の鰹の漁獲量を誇る佐賀漁港があり、主な産業として、鰹漁を中心とした漁業と、きのこの栽培を中心とした農業がおこなわれています。「町の木:オガタマ」「町の花:ヤブツバキ」「町の鳥:メジロ」を制定。
旧キャッチフレーズは「くじらに会える町」
明治22年(1889)、町村制の施行により、幡多郡佐賀村が発足。
1940年、佐賀村が町制を施行、幡多郡佐賀町が発足。
1957年、幡多郡大方町大字白浜を編入。
2006年、幡多郡大方町と合併、幡多郡黒潮町となりました。
昭和45年10月1日制定の町章は「「さが」を同時に組み合わせ、抽象し、図案化したものです。」合併協議会資料より
(※)旧幡多郡佐賀町のマンホールは、見つけられませんでした。
撮影日:2013年3月24日
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この日は「道の駅・ビオスおおがた」に隣接する「入野松原:駐車場」で車中泊をさせて頂きました。閉店間際の道の駅:売店で売られていたお赤飯を辛うじて購入。松原の駐車場は予想以上に沢山のお仲間がいたお陰で、潮騒を子守歌代わりに眠ることが出来ました。
翌朝、開館時間まで待てなくて、ガラス越しに写したニタリクジラの骨格標本。生で見たかったな・・・
車で旅をする私達にとって、こうした施設は、本当にありがたく大切な場所です。
改めて、その折は有難うございました🙏🙏
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