車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

三保の松原 in 静岡県静岡市清水区

2019年01月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

静岡市清水区の三保半島に位置する、謡曲『羽衣』の舞台で知られる景勝地「三保の松原」。佐賀県唐津市「虹の松原」、福井県敦賀市「気比の松原」と共に、日本三大松原とされており、国の名勝に指定されています。

更にその美しさから「日本新三景」とも称えられているそうで、今回の旅では訪問を楽しみにしていた景勝地の一つ。ところで「日本新三景」は「三保の松原」に九州の「耶馬溪」、北海道の「大沼」だそうで、日本人って何でも三つにまとめるのが好きなんだなと笑ってしまったのだけど、では誰がそれを決めたんだろう?(笑)。
それはさて置き、早朝の海岸から望む駿河湾越しの富士山は、まさに神々しいばかりの美しさ。

子供の頃【白い浜辺の松原に~♪】で始まる童謡の、白い浜辺が何処なのかずっと疑問でした。 何故なら、歌詞はいつも二番の【天の羽衣ひらひらと 天女の舞の美しさ】で終わっていたから。
大人になって昔の童謡を聴く機会があり、三番が【空にほんのり富士の山】で終わるのを知りました。 富士山が見えて天女伝説の残る松原は、ここ清水区の三保半島に広がる「三保の松原」だけ。 だから実際に、朝霞の中に浮かぶ富士山を見た時は、思わず子供の頃のように羽衣を口ずさんでいました(笑)

天女が舞い降りたとされる「羽衣伝説」の舞台には、「羽衣の松」が大切に保存されています。 羽衣の松は「御穂(みほ)神社」の御祭神が降臨する際の依り代とされており、現在は三代目だとか。
初代「羽衣の松」は宝永4年(1707)の富士山大噴火の際に海に沈んだとか・・。神の依り代が富士の炎と共に海に沈む、不遜な言い方ですが「何と意味深な物語・・」

羽衣の松の傍ら、駿河湾をのぞむ浜辺に鎮座されるのは「御穂神社」の離宮とされる「羽車(はぐるま)神社」。御祭神は『三穂津彦命(大国主命)・三穂津姫命』の夫婦神。こちらでは石に願い事を書いて納める風習があるそうで、今でも願い事が書かれた石を見かけます。

絵馬には「富士山と松、羽衣を受け取る天女と漁師の白龍」が描かれ、「羽衣の松」の文字。 三保の天女伝説では、漁師は素直に羽衣を天女に返し、天女は舞を見せて天に帰って行きます。が、天女が舞い降りて羽衣をかけた松、これはもう全国のどの羽衣伝説でもぶれない設定のようです。

謡曲『羽衣』はこの伝説を元にして作られたもので、室町時代から現代に至るまで人気の演目。 能の中で三保の松原の美しさを讃えて謡われる【君が代は 天の羽衣まれに来て 撫づとも尽きぬ 巌ならなむ】この一節が大好き🌸。

松原の一画に、フランスのダンサー『エレーヌ・ジュグラリス』の功績を称えて建立された「エレーヌの碑」。 彼女は日本の能を研究する中で「羽衣伝説」を知り、これを題材にした作品「羽衣」を発表しました。そしていつかその舞台となった三保の松原を訪れたいと願っていたそうですが叶わず、35歳の若さで病死。「せめて髪と衣装だけは三保の松原に」、エレーヌの遺言どおり、夫は彼女の衣装と遺髪を持って来日。 この秘話に共感した地域住民により、昭和27年にエレーヌの功績を称えた「エレーヌの碑」が完成。 「羽衣の碑」とも名付けられた碑の袂には、彼女の願いどおり、遺髪が納められているそうです。

「御穂神社」から「羽衣の松」まで、樹齢200年から300年の老松の並木が濃い緑の影を落として続く「神の道」

その「御穂(みほ)神社」には、羽衣の切れ端といわれるものが保存されているんだそうです。
ん?? 羽衣の切れ端って?? 、もしかして白龍が松から羽衣を取ったときに千切れたとか?! 天女の羽衣なのに、切れるとか有り得ないでしょう!!というお馬鹿な突っ込みはこの際、無しという事で(笑)

訪問日:2011年11月13日

2013年、三保の松原は「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」として世界文化遺産に登録されました。

 


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