「民俗学 柳田國男ともちむぎ麺のまち 福崎町」
「もちむぎ麺」とはあまり聞きなれない言葉ですが、曰く「うどんにあらず、そばにあらず、独特の食感と風味はまさに麺の中の逸品。」ざる麺から季節の和膳まで、いろいろお楽しみいただけるのがここ「もちむぎの館」。柳田國男とはあまり(全然)関係ありませんが、福崎町の代表を二分する食材です。
福崎町西田原に残る「三木家住宅」。三木家は姫路藩英賀城主の後裔で、明暦元年(1655)に姫路藩主の榊原家に新田開発を命じられ、辻川の地に移ったと伝えられる名家。以来明治4年(1871)の廃藩置県まで、代々姫路藩の大庄屋として地域に貢献してきました。 柳田國男が10歳から12歳頃まで三木家で生活し、著書『故郷七十年』に「三木家の四千冊余の蔵書を乱読したことが民俗学の基礎となった」と書き記しています。
建物九棟・表座敷が兵庫県指定重要有形文化財に指定されています。が・・・老朽化による全面修理が2010年11月から行われているそうで、修理から4年を経てもまだこの状態でした。
東隣に屋敷を構えるもと庄屋の三木家が、大正11年(1922)に辻川郵便局長就任。それを機に建設を始め、大正12年に竣工した「旧辻川郵便局」。
外壁は下見板張。上下階とも上げ下げ窓を配し、軒先に瓔珞(ようらく)をまわし、1階玄関ポーチの庇に「〒」をモチーフとした意匠で天井を飾るなど、洋風の郵便局舎の好例であるとして、2008年に国の登録有形文化財に指定。
「旧辻川郵便局 現地案内」
向かって右に掲載された写真部分の実写。
三木家住宅がある通りの歩道にあった観光プレートは「辻川界隈 銀の馬車道」。兵庫県中央部の播但地域に姫路・飾磨港から生野鉱山へと南北一直線に貫く道があります。“銀の馬車道”と呼ばれる歴史の道・・いつかはこの道をたどって生野銀山まで・・
柳田國男生家近くにある「福崎町立神崎郡歴史民俗資料館」。明治19年(1886)に神東・神西郡役所として、神東郡西田原村辻川(現 西田原の辻川区)に建設され、明治29年に神崎郡役所と改称。大正15年に廃止されるまで郡役所として使用されてきました。
昭和57年(1982)に現在地に移築・復元し、同年10月に資料館として開館。西洋の新古典主義建築の様式を取り入れた建物は本当に美しく、ただ見ているだけで幸せな気分になれます。
受付の窓口上に飾られていた「柳田國男」氏のサイン入り写真・・塑像やイラスト、銅像とは全く別の人物がそこにいました。
資料館の展示で印象に残ったのが、「八葉寺旧本堂の蟇股」。それがいかにも私らしいと御亭主殿😅。流水に水仙の透かし彫り彫刻で、寛文五年頃に建てられた本堂にあったらしいですが、詳細は不明😓
資料館の前に展示されていた「伝山崎群集墳内出土:組合せ式家形石棺」
訪問日:2014年12月6日
氏の著作「遠野物語」は、本気で読みましたが、私には縁のない名著でした。味気なさと退屈を堪え、何度も読みましたが理解できませんでした。
田山花袋 ( 最も古い友人 )
島崎藤村 ( 柳田氏から、著書を贈られた作家 )
泉鏡花 ( 晩年まで親交のあった作家 )
この三氏は含蓄のある素晴らしい文学作品で、不滅の作品と褒め称えていました。
自分の浅学さと、学問と文学の世界の広さを教えられた苦い思い出の書でもあります。
写真の柳田氏は、明治時代の政府高官ですから、風格のある表情をしていますね。勉強になりました。
人で無い者が自由に生きていられた時代
人は理屈ではない「何か」に怯えた時
それを妖の所為にしてきたのかもしれません。
遠野物語を読んでいくと、
そんな遠い時代の人の営みが見えてきて
色んな意味で興味深いです。