車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

真言宗十八本山一番札所:善通寺 in 香川県善通寺市

2021年03月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

「屏風浦五岳山誕生院」を号とし、「薬師如来」を本尊とする「真言宗善通寺派総本山:善通寺」
四国八十八箇所霊場の第七十五番、真言宗十八本山一番札所。和歌山県の高野山、京都府の東寺と共に弘法大師三大霊場に数えられます。

多度郡屏風浦善通寺之記によれば「善通寺は空海の父で地元の豪族であった佐伯直田公(法名善通)から土地の寄進を受け、大同2年(807)に建立し始め、弘仁4年(813)に落成したという。空海の入唐中の師であった恵果が住していた長安の青龍寺を模して建立したといわれ、創建当初は、金堂・大塔・講堂など15の堂宇であったという。寺号の善通寺は、父の名前である佐伯善通から採られ、山号の五岳山は、香色山・筆山・我拝師山・中山・火上山の5つの山の麓にあることから命名された。」

朱色であるがゆえ赤門と呼ばれる東門をくぐり、重要文化財の指定を受けている金堂への参拝。流石に「真言宗十八本山一番札所」であり、「空海生誕地」としての位置にある善通寺。老若男女、多くの方が引っ切り無しに訪れ、手を合わせていきます。

特定の宗派に属さない二人ですが、だからといって神仏を疎かに考えることはしません。特に私の生まれ育った地では、お大師さんの存在は非常に身近にあり、お墓でもお仏壇の前でも「南無大師遍照金剛(この世の一切を遍く照らす)」を普通に口にして育って来ました。

あれもこれもと詰め込んだ予定の中では、じっくりとお参りは出来ませんが、それでも出来うる限りを見て歩きたいと、半ば駆け足状態😄
金堂同様、重要文化財指定の「五重塔」は明治35年(1902)に完成した四代目。五智如来の内、四如来が一階に、中尊大日如来は五階に祀られています。

五重塔の近くには、仏教の開祖である釈迦如来と十大弟子を安置する「釈迦堂」があり、左右には知恵の輪灯篭が並びます。現在の建物は江戸時代・延宝年間(1673~1680)建立で、もとは西院(誕生院)の御影堂でしたが、天保2年(1831)の御影堂新築にあたり現在の場所へ移転されました。

「釈迦堂」と向かい合うように大きく枝を広げ、涼やかな影を大地に落として聳えるのは、樹齢千年を超える大楠。「善通寺境内の大グス」として香川県の天然記念物に指定されています。

江戸時代末期の再建とされる「鐘楼 」。梵鐘は昭和33年(1958)の作だそうですが、衝くことはできないそうです。

東院の南に位置する善通寺の正門「南大門」。日露戦争戦勝を記念して明治41年(1908)に再建された高麗門形式の平唐門で、国登録文化財の指定。

観光地には付き物の顔出し、とは言えまさかお大師様の聖地には・・・と思っていましたが、ちゃんとありました😅。お遍路さんの顔出しは、装束から察するに、ご夫婦かカップルでしょうか? 私の母も同じような装束一式をもっていました。

東院から東にのびる赤門筋商店街内にある「赤門七仏薬師」。薬師如来は、現世におけるすべての病苦をのぞくとされ、特に七仏薬師は安産の功徳を得るとされ、また、拝すると乳の出がよくなるといいます。手前の犬の像も「安産」にあやかったもののようです。

通称「乳薬師」と呼ばれる石造の薬師如来様。左手に薬壺を持ち右手を施無畏印(せむいいん)とする通形のお姿で、台座の部分には分身の六尊が浮彫で表されています。

奉納された絵馬を指差し、「乳の出だって~~、恥ずかしい~」と、可笑しそうに笑っていたお若い女性の参拝者がいました。でもね、母乳だけが赤子の命の糧だった時代があったのです。母乳が出るか出ないかは、即、赤子の生死に関わった重大事だったんですよ・・(と、これは私の心の声)

宝亀5年(774)、讃岐国多度郡屏風浦(現:香川県善通寺市)の地に、郡司:佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、玉寄御前(たまよりごぜん)の子として生を受けた「真魚(まお)」。この善通寺の西院には「弘法大師御誕生所」や「稚児大師像」等々・・あれもこれも拝観したいものが沢山あったのですが、詰めすぎた予定をこなすにはこれ以上の長居は無理と言うことでタイムアウト😔。

参拝日:2011年6月18日


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