車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

三木市立金物資料館 in 兵庫県三木市

2023年11月04日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

三木市上の丸町、三木城本丸跡の一画に三木市の伝統産業である金物に関する資料が収集展示された校倉様式の「三木市立金物資料館」があります。入り口は、この後紹介する予定の「金物神社」の鳥居の奥にあり、受付で申し出れば、誰でも無料で見学する事ができます。

「三木金物の発展は、三木市の歴史において重要な位置を占めており、市民の金物によせる関心と愛着心はきわめて強いものがあります。しかし、金物産業も時代の要請につれて伝統的手工業から、機械による生産方法に進み、古来から伝わる製法や金物製品等は散逸のおそれがあるため、これら貴重な資料を収集・保存する設備がかねてから切望されていました。そして、昭和49年8月、小林恒美氏から金物資料館建設資金として篤志が寄せられたのを契機に実現を見たのです。昭和51年に開館した金物資料館は、金物に関する貴重な資料、金物製品を保存、展示しています。古来から伝わる鍛冶製法や、職人さんが「かじやさん」と呼ばれていた時のことが、よく分かります。」公式HPより

館内は、一つ一つが非常に丁寧に見やすく展示されており、思わず見入ってしまうものも沢山あります。こちらの額の中に並べられているのは、三木市志染町にある本山修験宗の寺院「伽耶院(がやいん)」の和釘から作られた道具。砂鉄を原料に、たたら製法で作られた和釘は純度99%。500年前の釘であろうとも、表面の錆を落とせば再び純度の高い鉄として再利用が可能なのです。

見慣れない形に思わず足を止めた「木の葉型鋸」、横に丁寧な説明が添えられています。「木の葉型鋸」とは、中世の絵巻物「石山寺縁起絵巻」など寺社普請の場に盛んに描かれていながら現物を欠いているため幻ののこぎりと言われた横曳き鋸で、その形状が栗の葉を半分に切った形に似ていることから「木の葉型鋸」と言われている~中略~展示品は三重県上野市・下都遺蹟室町中期層から出土した鉄製鋸をもとに復元した。」

広い館内には実に様々な金物=大工道具が展示されており、しかもそのどれもが私たちの世代には見覚えのあるものという事もあり、非常に興味深く楽しむ事ができます。例えば、鋸(のこ)一つ見ても、その種類の多さは驚くばかり。

「鑿」を並べて作った、さしずめ「のみ文字」(笑)

小刀というと、いかにも危険で危ないというイメージですが「肥後守」と言われると、ご亭主殿の世代では普通に誰もが所持していたし、実際、私の兄などもそれで普通に鉛筆を削り、竹とんぼを作ったりしていました。何時の頃からか、肥後守は凶器として忌避されましたが、どんなものであれ、使う人間次第でそれらは道具にも凶器にもなります。危険だからと排除してしまった結果、刃物全般の危険性を知らない子供たちが増えたのも事実です。

三木金物製品のうち「鋸(のこぎり)、鑿(のみ)、鉋(かんな)、鏝(こて)、小刀(こがたな)」の5品目は、国の伝統的工芸品に指定されています。額に収められた「豆道楽」は上記五品目の精巧なミニチュア。ミニチュアですが、その性能は一般的な製品と全く変わりありません。購買欲をそそられます(ーー゛);

三木市立金物資料館の入り口前に建立されているのは「村の鍛冶屋」の碑。1978年4月以降の教科書に載らなくなった為、それを惜しんで、同年に館の玄関前に建立されました。ちなみにこの唱歌が文部省唱歌から消えた理由が、鍛冶屋の存在が一般的でなくなった事、ふいごや鎚(つち)を目にする事がないからだそうで、似たような理由で消えた唱歌は「村祭り(村の鎮守の神様が理由)「われは海の子(煙りたなびく苫屋が理由)等々、驚くほど沢山あります。知らなければ教えれば良い事、日本の歴史につながる諸々を捨て去るなど実に愚かしい事だと・・私は思います。

【 しばしも休まず鎚打つ響き 飛び散る火玉よ 走る湯玉

ふいごの風さえ 息をも継がず  仕事に精出す 村の鍛冶屋 】

訪問日:2010年5月4日

 


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