亀山市関町、東海道五十三次四十八番「坂下宿」。鈴鹿峠の麓に位置し、東海道難所のひとつである鈴鹿峠を控えて参勤交代の大名家などの宿泊も多く、江戸時代後半には本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠48件が軒を連ねていました。
町並5町56間、戸数約150戸の宿場町は、道路拡幅によって往時の景観を失いましたが、石造物などにかつての面影を偲ぶことができます。
坂下宿本陣の一つ「松屋」の門の一部が移築された、市指定文化財「法安寺の庫裏玄関」。坂下地区に残る唯一の本陣の遺構です。
亀山市関町坂下に門を構える曹洞宗寺院「鈴鹿山:法安寺」。『釈迦牟尼』を本尊とします。
「室町時代:永正2年(1505)開創」の記載のみ。境内に建立されていた「當時本尊:信濃善光寺分身如来」と刻まれた碑。なにがしかの手掛かりになったのではと思うと、他の面の刻字を確認しなかったのが悔やまれます。
残念ながら由緒等は不明ですが、関宿にも負けない賑わいを見せていたと云われる坂下宿の寺院。参拝者を出迎える山門の随所に見られる意匠は流石と唸らせるに足るもの。
山門の上部、菊花紋を彩るのは満開の牡丹の花。こんな雨でなければもっと美しい姿を紹介できたのに・・・
初見と思われる留め蓋獅子。これほどの大きな顔を持つ獅子は今まで見てきた中でも類のないもの。
阿吽ともに非常に凝った細工が成されています。
山門を守護する棟の鬼面瓦もまた魅力ある姿。
はんなりと優しい留め蓋の飾り瓦、これは牡丹菊だろうか?
山門を潜った先の境内、真っ直ぐに本堂。本堂の後方に見えるのは「三子山」だろうか? 右手には本陣の門が移築された庫裏が並びます。
参拝者の為に配慮された通路に感謝。
本堂屋根の留め蓋瓦から参拝者を見守る阿吽の獅子たち。身をよじって抱きしめているのは玉なのか?それとも毬なのか?出来ればもう少しズームにしたかったのですが、何しろこの雨・・防水でないデジカメでは、これ以上は無理 (>_< )
境内の一画に建立されていた宝篋印塔
山門近くにあった句碑「【 わが宿や 來鳴き豊もす 春の鳥 】西行法師へのみち 法安寺 せんこれ」誰の作なのか、何故ここに在るのか全て不明(-"-)
その昔、鈴鹿峠を前にした旅人は、ここで英気を養って難所の峠越えに備えたのでしょう。 難所越えをしてきた旅人は、次の目的地に向かうべく賑やかに語らって一息ついたのでしょう。かつて繁栄した宿場町であったことを示すのは、後に立てられた数基の石碑のみ。
雨の下でうずくまる様に広がるのは一面の茶畑、当時を偲ぶ手立ては何もありません。
参拝日:2015年9月6日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます